有明海の西岸、佐賀県太良町にある3基の海中鳥居が大魚神社(おおうおじんじゃ)の海中鳥居。多良川河口の北側、有明海の海中に3基の鳥居がありますが、これが大魚神社の二の鳥居。太良町の潮の干満差は最大で6mもあり、満潮時には海の中の鳥居に。すぐ南側には干潮時にのみ現れるという太良海中道路があり、冬場の海苔の養殖などの際に使われています。
諫早茂元が大魚神社を建立
海中鳥居は、背後の信仰の山、多良岳(たらだけ=行基が多良嶽三社大権現を祀り、空海が開いたという伝承の金泉寺があります)と沖合の沖ノ島を結ぶ線上に位置しているのだとか。
大魚神社の創立年代は不詳ですが、諫早を領有した諫早鍋島家(諫早氏)6代当主で佐賀藩士・諫早茂元(いさはやしげもと)が天和2年(1682年)に社殿を再興、元禄6年(1693年)に海中鳥居を建立しています。
太良町には悪代官が建てた海中鳥居という伝承も(『太良町誌』などによる)。
元禄6年(1693年)頃、悪代官に手を焼いた住民が代官を沖ノ島に誘って宴会を行ない、酔った代官を島に置き去りに。
酔った代官を島に置き去りにしたところ、代官は悔い改めて竜神様に助けを求め、大魚(ブリ、ナミウオとの説も)が来て代官は魚の背中に乗って無事生還。
これを祝い、大魚大明神を祀った大魚神社を創建し、岸から約2丁(200m)の海中に鳥居を建てたと伝えられています。
赤い3基の鳥居は、今も30年毎に建て替えられています(22世紀に残す佐賀県遺産にも認定)。
厳島神社(宮島)、琵琶湖の白髭神社などの海中鳥居が1基なのに対し、大魚神社の海中鳥居が3基なのは、神域の入口を表すのではなく、海の神様の参道のため。
潮が引いたときには鳥居の下を歩いて通ることもできますが、潮が満ちると、沖の鳥居は半分以上が水没します(3基の鳥居で水没位置が違うので水深がわかります)。
大魚神社の海中鳥居 | |
名称 | 大魚神社の海中鳥居/おおうおじんじゃのかいちゅうとりい |
所在地 | 佐賀県藤津郡太良町多良1874-9地先 |
関連HP | 太良町観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR多良駅から徒歩10分 |
ドライブで | 長崎自動車道武雄北方ICから約29km |
問い合わせ | 太良町観光協会 TEL:0954-67-0065/FAX:0954-67-0067 |
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