静岡県伊東市、標高200mの大室高原に位置する、周囲4kmほどのひょうたん型の火口湖が、一碧湖(いっぺきこ)。湖面には天城の山々を映し出す様子から「伊豆の瞳」の別名も。湖畔には一周1時間30分ほどの遊歩道が設けられており、与謝野晶子・鉄幹の歌碑も立っています。
天城の山々を映し出す「伊豆の瞳」
一碧湖の名は、中国・北宋時代の文人茫仲淹(はんちゅうえん)の詩「岳陽楼記」の湖南省にある洞庭湖の風景を表した一文「一碧萬頃」(いっぺきばんけい=水面が、はるかかなたまで青々と広がっていること)からとって杉山三郊(漢学者、陸奥宗光の秘書官)が名付けたもの。
伊豆東部火山群の一角で、約10万年前の割れ目噴火によって誕生した丸い凹地(マール)。
湖沼の少ない伊豆半島では、最大の湖です。
十二連島は、4000年前の大室山噴火で流れ出た溶岩流の末端です。
一帯は、伊豆半島ジオパークの一碧湖・梅木平ジオサイトにもなっています。
500本の桜が開花する春は、一層美しい。
一碧湖ではブルーギル釣りができ、釣り舟や貸ボートも営業。
与謝野晶子・鉄幹夫妻は、昭和5年の元日、伊東を訪れています。
「一碧湖とは小室の大池の新稱である。町から南へ一里の山中にあるので見に行つたが、霜融の泥濘に困つて、途中の山から其の一部を眺めただけで引返した」(『伊豆の旅』)。
その年の10月11日、一碧湖にあった島谷亮輔(しまたにりょうすけ)の所有する「抛書山荘」(ほうしょさんそう)へ来遊し、以降毎年のように訪れ、それぞれ、300首の作品を残しています。
与謝野晶子の句碑は、「黒ずみて湖水も石のここちすれ山の底には夕明りなし」で昭和12年3月の歌、与謝野鉄幹の句碑は「初夏の 天城おろしに 雲ふかれ みだれて影す 伊豆の湖」で、昭和9年6月の歌。
一碧湖と呼ばれる以前は、吉田の大池と呼ばれていたため、「吉田の池」と歌っています。
昭和9年12月1日に丹那トンネルが開通するまで、東海道線が御殿場回りの時代は、国府津(こうづ)から伊東までの移動は汽船で(伊東線開業は昭和13年12月15日)、新詩社の縁で抛書山荘や岡崎別荘に滞在したのです。
一碧湖 | |
名称 | 一碧湖/いっぺきこ |
所在地 | 静岡県伊東市吉田一碧湖 |
関連HP | 伊東市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR伊東駅から東海バス一碧湖経由シャボテン公園行き29分、一碧湖下車、すぐ |
ドライブで | 西湘バイパス石橋ICから約47km |
駐車場 | 一碧湖駐車場(52台/無料) |
問い合わせ | 伊東観光協会 TEL:0557-37-6105 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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