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修禅寺

修禅寺

寺伝によれば大同2年(807年)、空海(弘法大師)が修善寺に創建したと伝えられる古刹が修禅寺で、正式名は福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)。修善寺温泉の地名の由来になった寺ですが、源頼朝の異母弟、源範頼(みなもとののりより)と2代目将軍・源頼家が幽閉、暗殺されたことでも有名です。新緑、紅葉も素敵。

歴史のドラマが詰まった修善寺温泉の名刹

鎌倉時代に蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入山して真言宗から臨済宗に改宗しています。長享3年(1489年)、韮山城主・北条早雲が隆渓繁紹(りゅうけいはんじょう)を遠州の石雲院から招いて曹洞宗に改宗した。

源範頼、そして源頼家の悲話を秘めた寺らしく、境内は静寂に包まれています。
手水場の龍の口から温泉が流れ出ているところは修善寺温泉らしいところ。
現存する本堂は明治16年の再建で、本尊の木造大日如来坐像は、承元4年(1210年)に実慶が作ったとの墨書が発見されており、国の重要文化財。

建久4年8月17日(1193年9月14日)、源範頼は源頼朝に謀反の疑いをかけられ、修禅寺に幽閉、殺害されています。
『保暦間記(ほうりゃくかんき)』、『北條九代記』には誅殺されたと記されていることから頼朝の妻・北条政子の陰謀説もささやかれるが定かでありません。

源頼朝と北条政子の嫡男である源頼家は、18歳で第2代征夷大将軍(鎌倉殿)になるものの病に伏し、その間に弟の源実朝が征夷大将軍に就任。
源頼家は母の政子により修禅寺に幽閉され、元久元年7月18日(1204年8月14日)、北条氏の手兵によって入浴中に殺害されてしまいます。
源頼家の悲劇を題材に、作家・岡本綺堂は戯曲『修禅寺物語』を著作。

4月と8月を除く毎月21日には『修禅寺弘法市』も開催

境内奥に建つ宝物館「端宝蔵」では、源頼家の木彫りの面や、北条政子が寄進した放光般若経、金銅製独鈷(とっこ)杵などが展示されています。

指月殿(しげつでん)は、源頼家の冥福を祈って母・政子が建立した寺。

毎年4月20日夜に『春の万灯会』、4月21日に『弘法忌』(「とっこの湯」湯汲み式)、8月21日に『例祭』が執り行なわれ、毎月21日(弘法大師の縁日/4月と8月を除く7:00~12:00)には露店が軒を連ねる『修禅寺弘法市』(朝市)が開かれています。
観光協会、地元の農業生産者等が協力して、採りたての新鮮な野菜や修善寺の特産品を安価にて販売。

修禅寺
名称 修禅寺/しゅぜんじ
Shuzenji Temple
所在地 静岡県伊豆市修善寺964
関連HP 伊豆市公式ホームページ
電車・バスで 伊豆箱根鉄道修善寺駅から東海バス修善寺温泉・虹の郷方面行きで8分、終点下車下車、徒歩5分
ドライブで 東名高速道路沼津ICから約26km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 修禅寺 TEL:0558-72-0053
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

指月殿

2022年9月22日

筥湯

2022年9月22日

 

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