指月殿

指月殿

静岡県伊豆市の修善寺温泉に建つ経堂が、指月殿(しげつでん)。修善寺温泉の筥湯で入浴中に暗殺された源頼家の冥福を祈り、母である北条政子が創建。現存する伊豆最古の木造建築となっています。北条政子寄進の本尊である釈迦如来坐像は、蓮の花を持った禅宗式という珍しい形で静岡県の文化財に指定。

源頼家の冥福を祈り北条政子が建てた経堂

指月殿

建仁3年(1203年年)、鎌倉幕府第2代将軍・源頼家(源頼朝の嫡男、頼朝と同様に鎌倉殿と称される)は、弟の実朝を担ぐ北条氏により修禅寺に幽閉。
元久元年7月18日(1204年8月14日)、筥湯に入浴中の源頼家(鎌倉殿)は、母である北条政子の差し向けた刺客に、殺害されたと伝えられています。
満21歳という若さで、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には源頼家が側近や乳母一族である比企氏を重用し、従来の習慣を無視した独裁政治が北条氏の反発を招いたと記されています。

『愚管抄』によれば、抵抗した頼家の首に紐を巻き付け、急所を押さえて刺し殺したとありますが、『吾妻鏡』7月19日付には、源頼家死去の報があったことをそっけなく記すだけです。
『吾妻鏡』には、北条氏による政治的作為も含まれるため真相は定かではありませんが、『吾妻鏡』のそっけない記述からも時の政権が暗殺に関わっていた可能性を推測できます。

数千巻の経文を寄進し菩提を弔ったといわれているが大半は散失し、現存するものはわずか8巻。放光般若波羅密多経の第23巻が静岡県指定文化財として修禅寺宝物館に収蔵されており、巻末に「為征夷大将軍左金吾督源頼家菩提、尼置之」という政子の墨書がある。指月殿境内には23歳の若さで殺害された源頼家の墓、頼家に仕えた十三士の墓もある。

令和4年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(三谷幸喜脚本)も『吾妻鏡』がベース。
源頼家(鎌倉殿)は金子大地が演じています。

指月殿
名称 指月殿/しげつでん
所在地 静岡県伊豆市修善寺934
関連HP 伊豆市公式ホームページ
電車・バスで 伊豆箱根鉄道修善寺駅から東海バス修善寺温泉面行きで8分、終点下車下車、徒歩5分
ドライブで 東名高速道路沼津ICから約26km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 伊豆市観光協会修善寺支部 TEL:0558-72-2501
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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