修善寺温泉駅

修善寺温泉駅

静岡県伊豆市修善寺、修善寺温泉の中心、筥湯(はこゆ)近くにある東海バス、伊豆箱根バスの修善寺温泉バス停が、修善寺温泉駅。バス停なのに駅を名乗るのは、かつて鉄道連絡を謳った時代、鉄道のきっぷなどを発券することができたから。今もその伝統を活かして駅と名乗っているのです。

バス停なのに駅と名乗るのは鉄道連絡時代の名残り

昭和3年、東海自動車は伊豆の観光開発を手がける大倉財閥(大倉喜七郎の口癖は、「伊豆の開発は日本のためになる」で、昭和11年、川奈ホテル開業)の傘下に入り、昭和7年10月10日、東海自動車は省線(鉄道省の路線=現在のJR)の連絡運輸を行なうため、沼津駅〜三島駅(現・下土狩駅)〜修善寺温泉〜伊東温泉(省線伊東駅開業は昭和13年)〜省線熱海駅の鉄道連絡バスを運行。

丹那トンネルの開通は、昭和9年12月1日なので、それ以前の御殿場回りの東海道線時代から、鉄道(省線)連絡のバス輸送が行なわれていたことに。

昭和6年6月1日、鉄道省線と民間の自動車線(バス会社)で旅客連帯運輸が始まったのは、東海自動車のほかに下田自動車、日光自動車(省線日光駅〜中禅寺湖)、日本自動車道(省線大船駅〜江ノ島口)、富士屋自動車(省線小田原駅〜元箱根〜省線沼津駅、省線熱海駅〜省線沼津駅=丹那トンネル未開通、省線小田原駅〜省線御殿場駅)の5社のみ。
とくに伊豆では省線だけでなく、伊豆大島への汽船と、伊豆半島の温泉地を連絡した周遊きっぷなども発売されました。

修善寺の湯治客は、「省線で東京まで」ときっぷが購入でき、省線連絡が東海自動車のステータスにもなったため(駿豆鉄道=現・伊豆箱根鉄道駿豆線との競合もありました)、あえて松崎駅、下田駅と名乗り、地元でもその名が浸透していったのです。

戦後、伊豆急が下田まで延伸した際に(昭和36年12月10日、伊東〜伊豆急下田開通)、伊豆急下田駅にしたのは、国鉄に下田駅があったからもありますが、この下田自動車(現・東海バス)、東海自動車(現・東海バス)の下田駅がすでにあったことも大きく影響したと推測できます。

修善寺温泉駅
名称 修善寺温泉駅/しゅぜんじおんせんえき
所在地 静岡県伊豆市修善寺
電車・バスで 伊豆箱根鉄道修善寺駅から東海バス修善寺温泉行きで8分、終点下車
ドライブで 東名高速道路沼津ICから約31km
問い合わせ 伊豆市観光協会修善寺支部 TEL:0558-72-2501
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
筥湯

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指月殿

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独鈷の湯

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修禅寺

修禅寺

寺伝によれば大同2年(807年)、空海(弘法大師)が修善寺に創建したと伝えられる古刹が修禅寺で、正式名は福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)。修善寺温泉の地名の由来になった寺ですが、源頼朝の異母弟、源範頼(みなもとののりよ

 

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