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掛川城御殿

掛川城の二の丸にある御殿。御殿とは、藩主や藩の重役が政務を司る城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用された建物。藩政時代の御殿がそのままの姿で現存するのは非常に希少で、掛川城に登城するなら必ず立ち寄りたい場所です。黒澤明監督最後の脚本『雨あがる』のロケ地にもなっています。

藩主の政務はこの御殿で行なわれました

玄関前には大ソテツも植栽されています
藩主、家老専用の入口、式台玄関

藩政時代の近世城郭では、天守はシンボル的な存在となり、その機能の大部分を失ってしまいます。太平の世となれば、急な階段の天守に上る必要もなく、藩主の居住場所、そして政務の場所として本丸内の御殿が活用されたのです。
掛川城も当初は本丸内に御殿がありましたが、老朽化したり災害にあって、二の丸に移りました。

現存する掛川城御殿は、1854(嘉永7)年11月4日に起きた「安政の東海大地震」(M8.4)で倒壊後の再建です。
『嘉永甲寅諸国地震記』、『三災録』、『嘉永七年甲寅十一月四日大地震津浪』などの記録によれば掛川宿では本陣が倒壊、焼失するなどの大被害を受けています。現存する「大手門番所」もやはりこの地震で倒壊し、再建されたものです。
(「安政の東海大地震」の被害=小夜の中山の茶屋1軒も残らず潰れ、掛川宿では焼失597戸、潰家374戸、死者58人)

「安政の東海大地震」の際の藩主・太田資功(おおたすけかつ)は、寺社奉行という幕府の要職に就いていた実力者。掛川城御殿も地震直後の1855(安政2)年から1861(文久元)年にかけて再建しています。

現存する御殿は幕末の再建です
内部には大名行列などの展示も

建物は書院棟、小書院棟など7棟からなる書院造

御殿は再建されましたが、時は幕末。地震が起きた年は黒船が浦賀に来航した翌年。1855(安政2)年から1869(明治2)年までの14年間は掛川藩で使われましたが、維新後の廃城と同時に勤番所と徳川家兵学校に転用されています。
廃藩置県とともに掛川宿に無償下附され聚学校に、さらに女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署として使われ、昭和47年〜昭和50年にかけて往時の姿を取り戻す保存修理を実施。昭和55年、国の重要文化財に指定されています。

建物は書院棟、小書院棟など7棟からなる書院造(しょういんづくり)で、部屋は用途に応じ20部屋に分かれています。
藩主が日常の政務を行なったのが小書院棟。藩主執務室である「小書院」と、藩主の居間として使われた「長囲炉裏の間」の2室。
小書院棟の北側には食事の支度をする「勝手台所」がありましたが、明治時代に撤去されています。

藩主として最も重要な対面儀式に使われる書院棟は、主室の「御書院上の間」と、謁見者の控える「次の間」、「三の間」の3室から成り立っています。
東側は藩政をつかさどる諸役所の建物で、目付・奉行などの役職の部屋、警護の詰所、帳簿付けの賄方、書類の倉庫である御文証などが配されていました。
身分制度の厳しい封建社会ですから、当然、身分によって玄関も異なり、藩主や家老は式台玄関から、その他の武士は玄関東側から、足軽は北側の土間から御殿に入りました。

小書院
三の間
映画『雨あがる』ロケ地
山本周五郎の短編小説の映画化。キャストは寺尾聰、宮崎美子、三船史郎、原田美枝子、檀ふみほか。脚本:黒澤明、小泉堯史。監督:小泉堯史。プロデューサー:黒澤久雄、原正人。黒澤明は脚本執筆中に死去し、遺作となっています。
平成11年5月に、『雨あがる』のロケが行なわれた掛川市周辺。三船史郎扮する永井和泉守重明の登城シーン、御前試合のクライマックス「殿様池に落っこちて見るもあわれなお姿」シーンなどが撮影されました。この映画、静岡県内では掛川城御殿、小國神社、大井川(渡河シーン)、伊豆山中、御殿場オープンセットなどがロケ地となっています。

全国に現存する御殿はわずかに4ヶ所

本丸御殿、二の丸御殿が現存するのは全国わずかに4ヶ所しかありません。しかも掛川城や、川越城は明治以降に様々な用途に転用されており、復元工事で往時の姿を取り戻しています。川越城本丸御殿は残念ながらその多くの部分を失っています。城というと天守が注目されますが、実は太平の世に藩主が暮らし、政務を司ったのは御殿ですから、実は藩政時代の藩主の暮らしぶりがもっともわかるのは御殿なのです。掛川城御殿以外に現存する往時の御殿は以下の通り。なお名古屋城の本丸御殿は復元が進んでいるほか、金沢城の中核をなす二の丸御殿も復元する計画があります。

二条城二の丸御殿

江戸時代の武家風書院造りの代表的な建築で2代将軍・徳川秀忠が大御所となった1624(寛永元)年以降の大改修した建物が現存。二の丸御殿(6棟)が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定。ユネスコの世界文化遺産に「古都京都の文化財」として登録。

二の丸御殿の豪華な玄関
併設された二の丸庭園

川越城本丸御殿

幕末の1848(嘉永元)年築のもので、関東以北に現存する唯一の御殿です。本丸御殿の一部(玄関・大広間部分と家老詰所)が現存。往時には16棟、1025坪の規模がありました。平成20年〜平成23年に大規模な保存修理工事を実施。埼玉県の有形文化財に指定。

玄関部分が現存
瓦には徳川家の「葵の紋」が

高知城本丸御殿

本丸の天守に隣接して造られている御殿。築城当初、二ノ丸御殿ができるまで、山内一豊と千代(見性院)が暮していました。現存する御殿は1753(宝暦3)年の再建で、上段ノ間、二ノ間、三ノ間、四ノ間などが往時のままに残り、国の重要文化財に指定。

天守に付帯する本丸御殿(右下)
現在は「懐徳館」と称したミュージアムに
掛川城御殿
名称 掛川城御殿/かけがわじょうごてん
所在地 静岡県掛川市掛川1138-24
関連HP 掛川城公式ホームページ
電車・バスで JR掛川駅から徒歩10分
ドライブで 東名高速道路掛川ICから約2kmで掛川大手門駐車場
駐車場 掛川大手門駐車場(201台/有料)
問い合わせ 掛川城公園管理事務所 TEL:0537-22-1146
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

掛川城大手門

2017年3月13日

掛川城太鼓櫓

2017年3月13日

掛川城大手門番所

2017年3月13日

掛川城

2017年3月13日

 

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