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賤機山城

賤機山城

静岡県静岡市葵区、今川氏の菩提寺である臨済寺や静岡浅間神社の背後に位置する賤機山(標高171m)の山上に築かれた中世の山城が、賤機山城(しずはたやまじょう)。駿河の守護・今川範政(いまがわのりまさ)が駿府に入った応永18年(1411年)頃に築城したと伝わっています。

今川氏時代の駿府城の詰城として機能

賤機山から富士山を眺望

賤機山は安倍川に沿うように南北に連なる山並みの南端で、駿府市街を一望にする要衝。
尾根最上部に本曲輪を構え、櫓台や土塁が配置。
南北に連なる稜線に堀切を設け、曲輪を配しています。

今川家の居館は、現在の駿府城公園の西、静岡市立病院あたりにあったとされ、今川氏の菩提寺である臨済寺の真裏にあることから、いざという時の詰城(つめのしろ)として賤機山城を築いたのだと推測できます。

永禄3年5月19日(1560年6月12日)の桶狭間の戦いで、今川義元は織田信長に討たれ(人質だった松平元康、後の家康は岡崎城へ帰城)、甲斐の武田氏と今川氏は関係が悪化。
永禄11年(1568年)、武田信玄の第一次駿河侵攻で、賤機山城、愛宕山城、八幡城も武田軍も落城し、今川氏真(いまがわうじざね)は遠江・掛川城の朝比奈泰朝を頼って落ち延びています。
これにより、戦国大名としての今川家は滅亡しますが、徳川家康と今川家の主従関係が逆転し、今川家は徳川家による庇護下で江戸時代を生き残り、子の今川範以(いまがわのりもち=今川義元の孫)、品川高久(しながわたかひさ)らが徳川幕府に重用されています。

賤機山城は、武田家が詰城として修築した可能性もありますが、天正10年(1582年)、徳川家康の駿府入りで破却されています。

静岡浅間神社の浅間神社登山口から徒歩30分で浅間山(賤機山公園)、さらに20分ほどで賤機山(「賤機山城跡」石碑)という手軽な散策コースで、静岡市民は毎日の散歩コースという人も。
静岡浅間神社からは赤鳥居側から登るルートと、石鳥居側の「百段階段」から登る2ルートがあり、「百段階段」はやや急なのでファミリー、高齢者などは注意が必要。

賤機山城
名称 賤機山城/しずはたやまじょう
所在地 静岡県静岡市葵区
電車・バスで JR静岡駅から徒歩50分。または、JR静岡駅から静鉄駿府浪漫バス(市内循環レトロバス)で10分、浅間神社下車、徒歩5分で登山口
ドライブで 東名高速道路静岡ICから約5.6km。新東名高速道路新静岡ICから約7kmで登山口
駐車場 静岡浅間神社周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

静岡浅間神社

駿河国(するがのくに)の総社が静岡市にある静岡浅間神社。静岡駅から北へ2km、賎機山(しずはたやま)の南麓にあり、神部神社(かんべじんじゃ)、浅間神社(あさまじんじゃ)、大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)の3つを総称して浅間神社(せんげ

賤機山古墳

静岡市街(静岡平野)に岬のように突き出した賤機山(しずはたやま)の南端、静岡浅間神社の境内に位置するのが賤機山古墳。標高50mほどの尾根筋に築かれた直径32m、高さ7mの円墳で、内部には巨石を組んだ横穴式の石室(せきしつ)が造られています。

 

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