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若き日の徳川家康公像

若き日の徳川家康公像

静岡県浜松市中区元城町、浜松城公園となっている浜松城本丸跡に立つのが、若き日の徳川家康公像。徳川家康は、永禄10年(1567年)、長男の竹千代(松平元康)に岡崎城を譲り、浜松城に移り、今川領遠江への侵攻を開始します。その時代の若き家康をイメージした像が、若き日の徳川家康公像です。

手にするのは兜にも使われる吉祥のシダ

昭和56年12月20日に建立した、彫刻家・水野欣三良(みずのきんさぶろう)の作品で、昭和63年4月14日に開設された「彫刻の散歩道」(広小路通り・広小路商店街)に配されるブロンズ像10基と同じです。
鋳造は、河野俊彦。
手にしているのは、勝草(かちぐさ)と呼ばれ、戦いに挑むには縁起のいい歯朶(しだ)。
ラグビーのオールブラックス(All Blacks=ニュージーランド代表)の胸元にもシルバーファーン(Silver Fern=銀シダ)のエンブレムが描かれています(ニュージーランドの先住民族のマオリにとってシルバーファーンは前進や躍動のシンボル)。

徳川家康が関ヶ原の合戦、大坂の陣で携行した具足(正式名は「伊予札黒糸威胴丸具足」)は、通称、歯朶具足(しだぐそく/久能山東照宮蔵、国の重要文化財)。
兜は、大黒頭巾形で兜の前に立てる前立(まえたて)がシダの葉のかたちというのが大きな特徴で、歯朶具足と通称されているのです。
シダは、常緑で枯れることがないことから、子孫の繁栄と長寿を示しているのです。
勝利につながる吉祥の具足と言われ、代々の徳川家将軍は甲冑の写しを製作し、将軍職継承の印としていました。

徳川家康の銅像は、出生地の岡崎市(岡崎城公園、東岡崎駅前)、大御所時代を過ごした静岡市(静岡駅北口、駿府城公園)、そして幕府を開いた東京都(両国)にもありますが、手にするのがシダという、吉祥、立身出世へのこだわりのある銅像はここだけ。
まさに浜松城が「江戸幕府300年の原点となった出世城」であることを具現化しているのです。

浜松城時代の17年には、三方原合戦での手痛い敗北と、命からがら浜松城への帰還など武田氏との対立、清洲同盟を結んだ織田信長の命により正室・築山殿の殺害と、長男・松平信康を自害へと追い込むなど苦難もありましたが、それを乗り越えて、遠江・三河・駿府・甲斐・信濃の5ヶ国支配を実現しています(5ヶ国支配となって駿府に居城を移動)。

浜松市内には、このほか、浜松城の東、元城町東照宮(引間城跡)に徳川家康公・豊臣秀吉公像があります。

「伊予札黒糸威胴丸具足」(歯朶具足)のレプリカ
若き日の徳川家康公像
名称 若き日の徳川家康公像/わかきひのいえやすこうぞう
所在地 静岡県浜松市中区元城町100-2
関連HP 浜松城公園公式ホームページ
電車・バスで JR浜松駅バスターミナルから遠鉄バスで6分、浜松城公園入口下車、徒歩すぐ。または、遠州鉄道鉄道線遠州病院駅から徒歩13分
ドライブで 東名高速道路三方原スマートICから約5.5km
駐車場 浜松城公園駐車場(55台/1時間30分まで無料、以降有料、施設利用による無料サービスあり)
問い合わせ 浜松城公園管理事務所 TEL:053-473-1829
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

浜松城

1570(元亀元)年、武田信玄の西侵に備えるため、徳川家康は本拠地を三河国岡崎城(現・愛知県岡崎市)から遠江国浜松荘へ移します。さらに当時の地名、曳馬という名が「馬を引く」(敗北)に通じることから浜松荘(荘園の名)に因んで浜松と改めています

出世にご利益大! 浜松城に登城せよ!

「徳川家康が17年間在城した浜松城は、江戸幕府300年の原点となった出世城なんです!」と、強調するのは浜松市の観光関係者。 しかも浜松市のキャラクター「出世大名家康くん」は、浜松市で開催の『ゆるキャラグランプリ2015』では地の利を活かして

 

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