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渭伊神社

渭伊神社

静岡県浜松市北区引佐町、井伊家発祥の井伊谷(いいのや)にある古社が、渭伊神社(いいじんじゃ)。平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載される式内社で、社殿後背の薬師山には巨石が並ぶ、古代から中世の祭祀遺跡である天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせき)があります。

井伊家発祥の井伊谷に建つ、井伊家の氏神

平安時代編纂の『日本三代実録』、貞観8年(866年)の項に「蟾渭神」(せんいしん)の神階が正六位上から従五位下に昇叙されるとあり、この蟾渭神が渭伊神社ではないかと推測されています。

井伊氏の菩提寺・龍潭寺(かつては八幡山地蔵寺)の境内にあったとする説が有力で、江戸時代初期頃に現社地に遷座しています。

神仏習合時代には八幡神(八幡大菩薩)も祀られ、大永6年(1526年)、井伊郷八幡宮の梵鐘が鋳造されています(今でも地元では「八幡様」と呼ばれています)。

寛弘7年(1010年)正月元旦、井伊谷の八幡宮(現在の渭伊神社)神主が御手洗の井の傍らに男児の捨て子を発見、それが後の井伊共保で、井戸は龍潭寺門前に共保公出生の井戸(ともやすこうしゅっせいのいど)として現存しています。
その赤子が、遠江国司・藤原共資の養子となり藤原共保と称し、長元5年(1032年)、井伊谷に居館・井伊谷城を構えて井伊氏を名乗ったのが、井伊氏のルーツとされ、正徳4年(1714年)、彦根藩主・井伊直興(いいなおおき=幕府の大老を2度務めた後、正徳4年に出家)も渭伊神社に参拝しています。

延喜式神名帳に記載される引佐郡6座は、渭伊神社のほか、乎豆神社(おづじんじゃ/浜松市北区細江町)、三宅神社(現・二宮神社/浜松市北区引佐町井伊谷)、蜂前神社(はちさきじんじゃ/浜松市北区細江町)、須倍神社(すべじんじゃ/浜松市北区都田町)、大殺神社(比定されず、三嶽神社が論社に/浜松市北区引佐町)です。

渭伊神社
名称 渭伊神社/いいじんじゃ
所在地 静岡県浜松市浜松市北区引佐町井伊谷1150
電車・バスで JR浜松駅から遠鉄バス奥山行きバスで53分、北神下車、徒歩5分
ドライブで 新東名高速道路浜松いなさICから約8km
駐車場 浜松市地域遺産センター駐車場を利用
問い合わせ 奥浜名湖観光協会 TEL:053-522-4720
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

天白磐座遺跡

静岡県浜松市北区引佐町井伊谷、渭伊神社の北、神宮寺川沿いにある古代の祭祀遺跡が、天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせき)。磐座(いわくら)とは古代の巨石信仰で、神が降臨する地、神の拠り所のこと。神を意識させる地として、磐座ファン必踏の地になっ

龍潭寺

寺伝によれば天平5年(733年)、行基によって開かれた奥浜名の古刹が龍潭寺(りょうたんじ)。井伊氏初代当主・井伊共保(いいともやす)は、寛治7年(1093年)に没すると八幡山地蔵寺(現・龍潭寺)に葬られ、以降豪族・井伊氏の菩提寺となりました

 

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