石川島公園
東京都中央区佃2丁目・3丁目、石川島の隅田川(中央大橋より上流部)、隅田川派川沿いに続く区立の公園が、石川島公園。江戸時代に人足寄場が置かれ、近代以降には石川島造船所、石川島重工業、石川島播磨重工業(現・IHI)があった…
東京都中央区佃2丁目・3丁目、石川島の隅田川(中央大橋より上流部)、隅田川派川沿いに続く区立の公園が、石川島公園。江戸時代に人足寄場が置かれ、近代以降には石川島造船所、石川島重工業、石川島播磨重工業(現・IHI)があった…
東京都中央区佃1丁目、中央区立佃公園の一角に建つのが、石川島灯台。隅田川河口、品川沖を航行する船の安全ための常夜灯として築かれた石川島灯台を復元したモニュメントで、佃川支川が隅田川に合流する住吉水門近くに建ち、石川島の歴…
東京都中央区銀座8丁目、浜離宮恩賜庭園の北側にあるのが、浜離宮前踏切跡。汐留駅(貨物駅、当初の新橋駅跡地)と東京市場駅(築地市場)を結んでいた東海道本線の貨物支線の踏切跡。昭和62年1月31日に廃線になった後も、モニュメ…
東京都中央区日本橋小伝馬町5丁目、十思公園(じっしこうえん)の園内にあるのが、石町時の鐘(こくちょうときのかね)。江戸時代、一帯には伝馬町牢屋敷(てんまちょうろうやしき)があったため、刑の執行時刻の正確を期するために時の…
東京都中央区勝どき4丁目、清澄通りと東仲通りの交差点、日蓮宗の寺、東陽院境内にあるが、十返舎一九の墓(じっぺんしゃいっくのはか)。東陽院前の道路際に徳川夢声の筆による「十返舎一九墓所」の石碑が立ち、本堂裏手の屋内墓地の一…
東京都中央区晴海5丁目にある東京港海上公園のひとつが、晴海ふ頭公園(はるみふとうこうえん)。晴海埠頭の先端部、レインボーブリッジを正面に見る絶景の海上公園で、令和3年に開催された2020年東京オリンピックの選手村として使…
東京都中央区勝どき2丁目・晴海1丁目、朝潮運河をまたぎ、大江戸線・勝どき駅方面と、晴海トリトンスクエアを結ぶ人道橋が、トリトンブリッジ。世界的にも稀なのは、内部が動く歩道で、しかも屋根付き全天候型という点。夜は夜景にアク…
東京都中央区を流れ、東京港に注ぐ運河が、朝潮運河。晴海運河(隅田川派川・すみだがわはせん)、で分流し、佃水門、朝潮大橋、桜小橋、トリトンブリッジ(動く歩道)、黎明橋、朝潮運河道路橋、朝潮水門などを経て晴海埠頭と豊海埠頭の…
東京都中央区晴海1丁目、東京港・晴海埠頭の朝潮運河沿いにある商業施設が、晴海トリトンスクエア。正式名は晴海アイランドトリトンスクエアで、通称が晴海トリトン。大江戸線勝どき駅から黎明橋を渡った、交差点の一角にある高層ビルで…
東京都中央区晴海2丁目、晴海トリトンスクエアの東、晴海通り沿いにあるのが、晴海BRTターミナル。晴海BRTターミナル〜勝どきBRT〜新橋~虎ノ門ヒルズを結ぶ東京BRT(とうきょうびーあるてぃー)の起点となるバスターミナル…
東京都中央区日本橋浜町2丁目にある歴史ある劇場が、明治座。明治23年、歌舞伎役者の初代・市川左團次(いちかわさだんじ)が千歳座(ちとせざ)を買収して新築し、明治座としたのが始まり。現在は明治座グループの運営で、歴史ある幕…
東京都中央区銀座6丁目にある松竹が運営する劇場が、新橋演舞場。幕間の楽しみ、「新橋演舞場 演舞場の台所」のつくる本格派の「幕の内弁当」が、東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県の一部エリアに限り、「お弁当デリ」が配達を開始。
東京都中央区銀座4丁目にある歌舞伎(かぶき)専用の劇場が、歌舞伎座。明治22年に開場されて以来、改築や二度の火災による焼失などの変遷を遂げ、現在の建物は大改装を含めると5代目で、意匠設計は隈研吾。高層オフィスビル「歌舞伎…
東京都中央区京橋3丁目、京橋大根河岸おもてなしの庭、京橋大根河岸通り沿いにあるのが、江戸歌舞伎発祥の地碑。寛永元年(1624年)、猿若勘三郎(初代・中村勘三郎)が中橋南地(現在の日本橋と京橋の中間)に、猿若中村座(猿若座…
東京都中央区日本橋室町1丁目、日本橋の北詰、国道14号を隔てて、日本国道路元標複製の反対側(東側)に立つのが、日本橋魚市場発祥の地碑。江戸時代、佃島の漁師たちがここで魚を売り始めたのが日本橋魚河岸(にほんばしうおがし)の…
東京都中央区銀座2丁目、ティファニー銀座本店前に立つのが、銀座発祥の地。ティファニー(Tiffany & Co.)の建つあたりが、江戸時代に貨幣鋳造と銀地金の売買が行なわれた銀座役所のあった地。寛政12年(180…
東京都中央区日本橋1丁目、日本橋郵便局の一画にあるのが、郵便発祥の地碑。明治4年3月1日(1871年4月20日)、郵便事業開始とともに江戸橋南詰に開設されたのが駅逓司(えきていし=現在の郵政省)、四日市郵便役所(現在の日…
東京都中央区新川1丁目、隅田川に架る永代橋(えいたいばし)の西詰に立つのが、船員教育発祥の地碑。明治維新後、鎖国時代が続いたことから欧米列強との大きな差があったのが海運力。そのため、明治8年11月、「三菱商船学校」が隅田…