茨城大学五浦美術文化研究所
茨城県北茨城市大津町五浦、五浦海岸(いづらかいがん)をこよなく愛した岡倉天心は、明治39年、この地に日本美術院第一部五浦研究所と住居を移し、2年後に東側の断崖の上に朱塗りの六角堂を建てています。一帯は現在、茨城大学五浦美…
茨城県北茨城市大津町五浦、五浦海岸(いづらかいがん)をこよなく愛した岡倉天心は、明治39年、この地に日本美術院第一部五浦研究所と住居を移し、2年後に東側の断崖の上に朱塗りの六角堂を建てています。一帯は現在、茨城大学五浦美…
茨城県北茨城市大津町五浦、茨城大学五浦美術文化研究所の敷地内、六角堂近くにあるのが亜細亜ハ一な里石碑(アジアはひとつなりせきひ)。天心終焉の地、赤倉の土地保存のため昭和17年に岡倉天心偉績顕彰会が組織され、亜細亜ハ一な里…
茨城県北茨城市大津町、五浦海岸(いづらかいがん)のビューポイントに建つ六角堂(茨城大学五浦美術文化研究所敷地内)。六角堂近くに立つのがウォーナー博士胸像(ラングドン・ウォーナー像)。アメリカの東洋美術史研究家で岡倉天心を…
京都府京都市中京区堂之前町、頂法寺(六角堂)境内にあるのがいけばな発祥の地を示すモニュメント。戦国時代に頂法寺(六角堂)の僧・池坊専応(いけのぼうせんおう)が創案したと伝えられるのが、いけばな。頂法寺の本坊にあたるのが池…
京都府京都市中京区堂之前町、頂法寺(六角堂)の本堂前にある京都の中央にあることを示す不思議な石が、へそ石。延暦13年(794年)、 桓武天皇の平安遷都の折、碁盤の目に道路を敷く際に、邪魔になった石だとの伝承があ…
東京都台東区谷中にある岡倉天心記念公園は、東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立にかかわり、また日本美術院を創設した岡倉天心の旧居跡。公園といっても710平方メートルの児童公園規模のもの。それでも明治31年10月15日、…
用明天皇2年(587年)、聖徳太子が創建と伝わる古刹が京都の六角堂(紫雲山頂法寺)。西国三十三所第18番札所で、六角堂、六角さんという通称名で通っています。太子沐浴の池の跡といわれ、池のほとりに小野妹子が開いた坊があった…