山王草堂記念館
東京都大田区山王1丁目、 徳富蘇峰 ( とくとみそほう ) の居宅「山王草堂」跡を大田区立の公園にしたのが、蘇峰公園。その一角にあるのが。徳富蘇峰の蔵書や書簡、愛用の品、『近世日本国民史』の自筆の原稿などを展示する大田区…
東京都大田区山王1丁目、 徳富蘇峰 ( とくとみそほう ) の居宅「山王草堂」跡を大田区立の公園にしたのが、蘇峰公園。その一角にあるのが。徳富蘇峰の蔵書や書簡、愛用の品、『近世日本国民史』の自筆の原稿などを展示する大田区…
東京都墨田区本所4丁目、「能勢の妙見さん」としてそのご利益が全国に知れ渡る日蓮宗霊場能勢妙見山(大阪府豊能郡能勢町)の東京別院が、妙見山別院。北辰(北斗七星・北極星)の信仰に始まる開運の守護神・妙見大菩薩を祀る寺で、勝小…
東京都墨田区両国4丁目、両国公園にあるのが勝海舟生誕の地(かつかいしゅうせいたんのち)の碑。山岡鉄舟、高橋泥舟とともに幕末の三舟と呼ばれる勝海舟は、文政6年1月30日(1823年3月12日)、江戸本所亀沢町、旗本小普請組…
神奈川県横浜市神奈川区、東高島駅一帯にある幕末の神奈川湊防備のために築かれた台場の跡が、神奈川台場跡。万延元年(1860年)、勝海舟の設計で、伊予松山藩が築造した台場。権現山(神奈川区幸ヶ谷、現・横浜市立幸ヶ谷小学校)か…
静岡県島田市の大井川に架けられた全長897.422mの木造橋が蓬莱橋(ほうらいばし)。明治3年、明治新政府から大井川の渡船架橋の許可がおりると、大井川に最初に架けられた有料橋が、蓬莱橋。明治12年のことで、通行料は片道5…
長崎県島原市萩原にある島原藩町年寄(古町別当)の中村家の屋敷門が中村家別当屋敷門。往時には中堀町(島原市中堀町159-3/エレナ一番街店)にありましたが、開発で萩町に移転しています。元治元年(1864年)2月、島原に上陸…
兵庫県西宮市西波止町、御前浜公園の浜辺に残るのが西宮砲台跡。幕末、アメリカのペリー浦賀来航やロシア船ディアナ号大阪湾来航などにより、海防に不安を感じた江戸幕府は大阪湾岸の防備(摂海防備=摂津国の海岸部の防備)に着手します…
神奈川県横須賀市、1.5kmもの深い入江となった浦賀港を挟んで、東西の叶神社が向かいあうように建っていますが、東側(東浦賀町)にあるのが東叶神社(正式名は叶神社)。明治の神仏分離、廃仏毀釈までは耀真山永神寺という真言密教…
上野の寛永寺で謹慎する徳川慶喜は、慶喜護衛のために結成された精鋭隊のトップで旧幕臣の山岡鉄舟に、駿府(すんぷ=現・静岡市)に布陣する官軍・西郷隆盛を訪ねて、恭順の意思を伝えます。その会見が行なわれたのが現在の静岡駅前、上…
元治元年(1864年)5月、江戸幕府軍艦奉行の勝海舟の進言で、大坂湾防備を念頭に神戸に築かれた海軍士官養成機関の跡が神戸海軍操練所跡。京橋筋南詰には錨(いかり)を模した神戸海軍操練所跡碑が立っています。
明石海峡が最も狭くなった舞子海岸に築造された幕末の砲台跡が旧明石藩台場跡(舞子砲台)。本州と淡路島を結ぶ明石海峡大橋の本州側のたもと、舞子公園の西の端に位置しています。幕府が明石海峡の警備強化のために、文久3年(1863…
神戸港のルーツ、メリケン波止場(メリケン波止場前交差点)に隣接する港公園に設置される石碑が神戸海軍操練所・陸奥宗光顕彰碑。仲良く2つの石碑が並び、左側が「海軍営之碑」、右側が陸奥宗光を讃える「陸奥宗光顕彰碑」です。
新政府軍の江戸城総攻撃は、1868(慶応4)年3月15日に予定されていました。その前日、3月14日、東征大総督府下参謀・西郷隆盛と、旧幕府徳川家陸軍総裁・勝海舟の会談が、田町の薩摩藩邸(蔵屋敷)が行なわれました。薩摩藩蔵…