板倉重昌の碑
長崎県南島原市南有馬町、島原・天草一揆(島原の乱)の主戦場となった原城三の丸跡にあるのが板倉重昌の碑。島原の乱の征討使として着任した板倉重昌は、新たな征討使、老中・松平信綱が派遣されたのにあせり、寛永15年(1638年)…
長崎県南島原市南有馬町、島原・天草一揆(島原の乱)の主戦場となった原城三の丸跡にあるのが板倉重昌の碑。島原の乱の征討使として着任した板倉重昌は、新たな征討使、老中・松平信綱が派遣されたのにあせり、寛永15年(1638年)…
島原の乱で知られる長崎県島原市の島原城。元和4年(1618年)から7年余りを費やし、肥前日野江藩の藩主となった松倉重政が築城。森岳と呼ばれた小高い丘の上に築かれ、別名を「森岳城」といわれていました。松倉氏・高力氏など4氏…
島原半島の原城に立てこもった籠城戦で知られる島原の乱で、そのカリスマ性から一揆軍の総大将になったのがまだ10代だった天草四郎。天草諸島の大矢野島の生まれとされており、故郷の上天草市は、「天草・島原の乱」を解説する天草四郎…