関ヶ原古戦場散策 小早川秀秋コース
「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場で小早川秀秋の足跡をたどる散策コースが、小早川秀秋コース。1万5000の軍勢を率いて松尾山に陣取った小早川秀秋ですが、黒田長政らの調略を受けており、東軍として参戦。比高18…
「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場で小早川秀秋の足跡をたどる散策コースが、小早川秀秋コース。1万5000の軍勢を率いて松尾山に陣取った小早川秀秋ですが、黒田長政らの調略を受けており、東軍として参戦。比高18…
岐阜県不破郡関ケ原町、関ヶ原の南、東名高速道路の南にあるのが、関ヶ原古戦場・脇坂安治陣跡(わきざかやすはるじんあと)。小早川秀秋が陣を置いた松尾山の麓にあり、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保とともに西軍として陣取っていました…
「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場で、福島正則関連の陣跡をめぐるのが福島正則コース。秀吉とは従兄弟(いとこ)という間柄ながら東軍の先鋒を務め、宇喜多秀家軍と激突しています。全行程6.7km、所要1時間45分…
「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場で東軍の知将・黒田長政(黒田官兵衛の子)の関連の史跡をたどる散策コースが、黒田長政コース。関ヶ原合戦では事前の調略、そして実際の戦闘でも活躍を見せ、東軍勝利の立役者となって…
岐阜県不破郡関ケ原町、JR東海道本線・関ヶ原駅の西700m、国道21号沿いにあるのが、関ヶ原古戦場・西首塚。関ヶ原合戦では東軍に与し、黒田長政陣に参加した竹中重門(たけなかしげかど=秀吉の軍師・竹中半兵衛の子)が西軍諸将…
西軍の総大将・石田三成は、関ヶ原を一望にできる笹尾山に陣を構え、鶴翼の陣(かくよくのじん)で布陣しています。「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場散策・石田三成コースは、全長9.4km、所要2時間20分のコース…
岐阜県不破郡関ケ原町、岡山烽火場(黒田長政・竹中重門陣跡)の麓、相川の岸にあるのが、関ヶ原古戦場・細川忠興陣跡。妻・玉(ガラシャ)の命を奪った石田三成の眼前に陣を敷き、「越中頭形兜」を被り、5000の兵を率いて黒田長政・…
岐阜県不破郡関ケ原町、徳川家康最後の陣跡近くにあるのが、関ヶ原古戦場・田中吉政陣跡。『関原合戦図志』でも、合戦時の田中吉政隊のはっきりとした布陣地はわかっておらず、石田隊に向かって兵を進めた場所ということで「田中吉政陣跡…
「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場で徳川家康の足跡をたどる散策コースが、徳川家康コース。最初に布陣した桃配山(ももくばりやま)から、戦況を好転させるために移動した陣場野の徳川家康最後陣地まで、家康進軍の足跡…
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原、十九女池(つづらがいけ)西にあるのが、関ヶ原古戦場・本多忠勝陣跡。徳川四天王に数えられる本多忠勝は、勇猛なだけではなく知略も備えた名将として名を馳せていますが、関ヶ原合戦では軍監として参戦し、…
岐阜県不破郡関ケ原町(関ケ原町役場横)、天下分け目の関ヶ原合戦を解説するミュージアムが、岐阜関ケ原古戦場記念館。関ヶ原古戦場のビジターセンター的な機能を有するだけでなく、教育的視点・体験的要素を重視して、関ヶ原合戦に至る…
岐阜県不破郡関ケ原町、東海道新幹線の車窓から眺める関ヶ原古戦場には、東西両軍の武将が陣取った陣跡が表示され、陣跡を巡る散策が人気となっています。関ケ原町立関ケ原中学校のすぐ北側にあるのが藤堂高虎・京極高知陣跡。その西には…
2024年9月29日(日)8:30〜16:00、岐阜県不破郡関ケ原町で『関ケ原陣跡制覇ウォーキング』。旧暦9月25日の関ヶ原の闘いにちなみ、各武将の陣営を巡る異色のウォーキングです。参加費1000円、募集人…