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「来る列車が全部上り列車」は東京駅以外にもある!

武豊線

東京駅は東海道本線、中央本線、東北本線、総武本線の起点駅で、東京駅に向かう列車はすべてが上り列車。列車番号は上り列車に偶数の番号が振られるので、東京駅行きはすべて偶数番号が付いています。ところが、武豊線(たけとよせん/愛知県・知多半島)だけは東京に向かうのに、なぜか下り列車で・・・。

武豊線は東海道線に先んじて開通、そのため上下逆転に

「日本一高い場所にある駅は?」
「野辺山駅!」
「残念! 東京駅でした。答えは上り列車しか来ないから」
というまさに下(くだ)らないクイズがありますが、このクイズが成り立つのも、東京駅着の列車はすべてが上りという前提がわかっていてのこと。

このルールに反しているのが、武豊線。
大府駅で東海道本線を分かれ、終点の武豊駅まで伸びる線で、平成27年3月1日に全線電化が完成。
名古屋駅の東海道本線のホームでも普通に、武豊駅行きの電車が発着しています。

JR東海の公式サイトでは、武豊駅発を便宜上、東京駅とつながる東海道線に向かうため「上り」としていますが、列車番号は偶数なので実際には「下り」であることがわかります。

なぜ、日本で唯一の逆転現象が起こったのでしょう。
武豊線は明治19年3月1日、武豊駅〜熱田駅間が半田線として開業。
官設鉄道(現・東海道本線)の浜松駅〜大府駅間の開通は、明治21年9月1日。

官設鉄道(東海道本線)よりもいち早く、武豊線(当時の半田線)が開通したのは、官設鉄道(東海道本線)建設の資材を運搬するためだったのです。

東京と神戸を結ぶ鉄道開設が決まると、明治政府は沼津港、清水港、そして武豊港を物資の陸揚げ港に決め、その周辺から鉄道を敷設していくことにしたのです。
そのため、東海道本線も浜松駅〜大府駅間よりも先に、大府駅〜長浜駅が完成。
長浜駅で敦賀線(現在の北陸本線)、琵琶湖湖上の鉄道連絡船(長浜〜大津)と接続させるというよく練られた計画だったのです。

そのため、物資輸送に活躍したのが、武豊線。
武豊港には全長145m×幅6mの桟橋を築き、そこから蒸気機関車に牽引された貨車で鉄道建設に必要な資材を、鉄路の伸びる最先端へと運びました。
明治20年には武豊港で国内初の陸海軍合同演習が実施され、明治天皇・皇后が観覧、明治32年には名古屋港などに先んじて開港場(国際貿易港)にも指定されたのです。

武豊線が東海道本線に先んじて開通したことで、武豊駅が起点となったため、武豊駅行きは上り、武豊駅発は下りという設定が生まれ、それが現在まで続いています。
これによって分岐駅の大府駅では、東京方面も、武豊方面もともに上りという不可思議な事態が生まれています(そのためJR東海では便宜的に時刻表上は武豊行きを「下り」扱いにしているのです)。

それでも列車番号は、武豊駅発が5807Fと奇数番号(下り)、武豊行き5818Fと偶数番号(上り)を付けているので、上り下りが逆転していることがよくわかります。

武豊駅近くには、武豊停車場跡、旧国鉄武豊港駅転車台もあるので、ぜひ見学を。

「来る列車が全部上り列車」は東京駅以外にもある!
所在地 愛知県知多郡武豊町金下無番地
場所 武豊駅
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

武豊停車場跡

明治19年3月1日に武豊〜熱田間に敷設された愛知県下最初の鉄道の起点駅が武豊停車場。明治16年8月6日に中山道沿いに鉄道を走らせるという中山道幹線(高崎〜大垣)の着工を内定し、その物資の搬入路として建設されたのが現在のJR武豊線(建設当初の

旧国鉄武豊港駅転車台

明治19年、東海道本線の建設時に物資の輸送のために建設された愛知県で最初に開通した鉄道が現在のJR武豊線(たけとよせん)。旧武豊港の桟橋から熱田までの間に敷かれたのですが、現存する旧国鉄武豊港駅転車台は、昭和2年に始発駅だった国鉄武豊港駅に

 

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