栃木県真岡市にある二宮尊徳が報徳仕法と呼ばれる農業政策(財政再建策)で、飢饉などで荒廃した農村を建て直したかを、実践した桜町で解説するミュージアムが、二宮尊徳資料館。二宮尊徳が赴任して26年間暮らした桜町陣屋の跡地横に建っています。
二宮尊徳が実践した「報徳仕法」を知る
二宮尊徳(二宮金次郎)は小田原藩主・大久保忠真(おおくぼただざね)にその手腕を認められ、野州桜町(現・真岡市)の復興を担って、文政6年(1823年)、桜町陣屋に赴任。
野州桜町では用水路や堰の整備、橋の改修などを行なっています。
二宮尊徳は小田原での田畑や家財などすべてを売却し、一家で野州桜町に移住。
「一家を廃して万家を興すなり」という不退転の決意があったのだとか。
至誠(しせい=生き方のすべてを貫く基本的な精神)、勤労(きんろう=働くことを通して知恵を磨き、自己を向上させる)、分度(ぶんど=自分の置かれた状況や立場をわきまえ、それにふさわしい生活を送ること)、推譲(すいじょう=節約によって余った分は家族や子孫のために蓄え、人や社会のために譲ったりして豊かな社会を築く)という尊徳の4つの教えは、天保の大飢饉にも生かされ、多くの人を救済したのです。
野州桜町で活躍した時代は二宮尊徳の人生の中でも最も充実し、その実力を発揮した時期で、報徳仕法の実践とともにその名は全国へ知れ渡りました。
館内には二宮尊徳直筆の、米の引替依頼状、廻村の際に使用していた陣笠・脚絆、小田原藩主大久保忠真から拝領した蒔絵煙草盆(まきえたばこぼん)、愛用の道中脇差などを展示。
二宮尊徳の教えや活躍などをビデオで紹介。
薪を背負って読書をする姿の二宮尊徳像は、明治24年刊行、幸田露伴(こうだろはん)著の『二宮尊徳翁』に初めて挿絵として掲載されたもの。
明治37年に国定教科書の修身に掲載され、少年期の金治郎が勤勉さにおいて模範的な少年として紹介され、勤倹力行(きんけんりっこう=勤勉に働き、慎ましく生活をし、何事にも精一杯努力する)が鼓舞されて、富国強兵の柱として殖産興業や農業改革が進行し、軍国主義化する流れのなかに取り込まれていきました。
政治には介入せず、農民自身の勤勉と倹約によって農村の矛盾を解決したという事実は、明治政府にとっても好都合で、当時、国民の大多数だった農民に対しての模範たる姿を示そうとしたのです。
二宮尊徳資料館では、そうした模範たる農民像(刻苦勉励、仁義忠孝の象徴)としての「つくられた二宮尊徳像」ではなく、農政家としての実践的な教えや活躍ぶりを学ぶことができるのです。
周辺には桜町陣屋跡、桜町二宮神社、蓮城院(二宮尊徳墓域)があるので、あわせて見学を。
二宮尊徳資料館 | |
名称 | 二宮尊徳資料館/にのみやそんとくしりょうかん |
所在地 | 栃木県真岡市物井2013-2 |
関連HP | 真岡市公式ホームページ |
電車・バスで | 真岡鐵道久下田駅からタクシーで10分 |
ドライブで | 北関東自動車道真岡ICから約9km、桜川筑西ICから約12km |
駐車場 | 桜町史跡公園駐車場(30台/無料) |
問い合わせ | 真岡市教育委員会 TEL:0285-83-7735/FAX:0285-83-4070 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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