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桜町陣屋跡

桜町陣屋跡

栃木県真岡市にある江戸時代に二宮尊徳(にのみやたかのり)が桜町領の復興事業(報徳仕法・桜町仕法)を行なった役所跡が桜町陣屋跡。小田原藩主・大久保忠真に手腕を認められた二宮尊徳(二宮金次郎)は、野州桜町の復興の命を受け文政6年(1823年)に桜町陣屋に赴任し、疲弊した野州桜町4000石を再建。陣屋跡は国の史跡になっています。

二宮尊徳が26年間在陣執務した陣屋

小田原城主・大久保忠朝(おおくぼただとも)の三男・教信(のりのぶ)が分家して宇津家を再興し、野州桜町4000石(下野国芳賀郡3ヶ村=物井、横田、東沼村)として元禄12年(1699年)に物井村桜町に創設した陣屋。
旗本である宇津家は江戸詰めだったこともあり、5代・宇津教成の治世には、領内が疲弊。
石高も減り1000石にも満たない領地となっていたのだとか。

そこで本家である小田原藩主・大久保忠真が二宮尊徳(二宮金次郎)を桜町陣屋に派遣したのです。
陣屋の敷地は東西約90m、南北約109mで、田畑、宅地、池、井戸、神社がありました。
周辺には土塁が巡らされ、外周三方には堀を巡らせていました。

桜町陣屋の脇には報徳田と呼ばれる水田の跡も現存し、陣屋の日記には「御陣屋内田植え」「御陣屋内報徳田一番田の草取り」などと記されています。
周辺は桜町史跡公園として整備され、二宮尊徳が執務した天保10年(1839年)当時の姿に復原された陣屋に隣接して二宮尊徳資料館、桜町二宮神社が建っています。

ちなみにこの地で二宮尊徳が実践した「報徳仕法」は、徹底的な調査に基づいて収入と支出の均衡を図りつつ、封建制度のわく内で農家の生活を向上させようというもの。
近くの大前神社東側の堰は、二宮尊徳が改修を行なった堰です。

晩年、二宮尊徳は、日光神領を回って日光奉行の配下で仕法を施していましたが、安政3年(1856年)、下野国今市村(現・栃木県日光市)の報徳役所にて没しています。

桜町陣屋跡
名称 桜町陣屋跡/さくらまちじんやあと
所在地 栃木県真岡市物井2013-2
関連HP 真岡市公式ホームページ
電車・バスで 真岡鐵道久下田駅からタクシーで10分
ドライブで 北関東自動車道真岡ICから約9km、桜川筑西ICから約12km
駐車場 桜町史跡公園駐車場(30台/無料)
問い合わせ 真岡市教育委員会文化課文化財係 TEL:0285-83-7735/FAX:0285-83-4070
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

蓮城院(二宮尊徳墓域)

栃木県真岡市にある曹洞宗芳全寺(真岡市久下田801)の末寺が、蓮城院。二宮尊徳(二宮金次郎)の娘・文子、二宮尊徳の遺髪が埋葬される二宮尊徳墓域として有名。歴代領主である稲葉氏、大久保氏(小田原藩)、宇津氏の庇護を受けましたが、嘉永4年(18

桜町二宮神社

栃木県真岡市の桜町陣屋跡近くにある二宮尊徳(二宮金次郎)を祀る神社が、桜町二宮神社。二宮尊徳没後50年の明治38年に、二宮尊徳の遺徳を偲び、ゆかりの地である桜町陣屋内に創建された神社。没後80年の昭和11年に現在の位置に遷座し社殿を新築して

二宮尊徳資料館

栃木県真岡市にある二宮尊徳が報徳仕法と呼ばれる農業政策(財政再建策)で、飢饉などで荒廃した農村を建て直したかを、実践した桜町で解説するミュージアムが、二宮尊徳資料館。二宮尊徳が赴任して26年間暮らした桜町陣屋の跡地横に建っています。二宮尊徳

 

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