栃木県佐野市、佐野市街地の北にそびえる唐沢山(241m)の山頂の本丸を構え、一帯に曲輪が配された連郭式山城で、「関東一の山城」と称される城が唐沢山城。国の史跡に指定されるほか、「続日本100名城」にも選定されています。また関東七名城のひとつ。
北条氏政の大軍、上杉謙信の大軍を退けた「関東一の山城」
平安時代の延長5年(927年)頃、近江三上山の百足退治の伝説で有名な藤原秀郷(ふじわらのひでさと)が下野国押領使(おうりょうし=軍事警察権を有した地方長官)となり築城したと伝えられています。
天慶2年(939年)には平将門の乱を平定していますが、この唐沢山城が関東支配の拠点となったと推測できます。
築城の時期は定かでなく、この平将門の天慶の乱がきっかけだったともいわれています。
延徳3年(1491年)、佐野盛綱が城の修築を行なっていますが、近年では藤原秀郷の築城はあくまで伝説で(唐沢山城主・佐野氏の先祖が藤原秀郷)、実際に築城したのは佐野氏だという説が有力です。
永禄2年(1559年)、北条氏政軍3万5000の大軍に囲まれた際には、城主・佐野昌綱は、上杉謙信に援軍を求めてこれを撃退しています。
その意味では、唐沢山城は、上杉氏の関東進出の最前線としても機能していました。
その後、上杉謙信と決別したことで、天正4年(1576年)、上杉謙信の大軍に攻められていますが、これを撃退。
「関東一の山城」との評価を高めています。
山頂の本丸を中心に、西に二の丸、三の丸、帯曲輪が尾根沿いに続き、南に南城、東の尾根上に長門丸、杉曲輪、北城が配されています。
慶長7年(1602年)、山麓に佐野城(現・佐野市若松町)が築かれ、廃城となっています。
明治16年に本丸跡に藤原秀郷を祭神とする唐沢山神社が創建されています。
唐沢山城 | |
名称 | 唐沢山城/からさわやまじょう |
所在地 | 栃木県佐野市富士町1409 |
関連HP | 佐野市公式ホームページ |
電車・バスで | 東武田沼駅からタクシーで10分 |
ドライブで | 北関東自動車道佐野田沼ICから約4.5km |
駐車場 | 30台/無料 |
問い合わせ | 佐野市文化財課 TEL:0283-61-1177 |
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