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東海道・品川宿

東海道・品川宿

東京都品川区、江戸時代、東海道五十三次の最初の宿駅として栄えたのが、品川宿。現在は旧東海道沿いに北品川本通り商店会と北品川商店街という商店街となっていますが、慶応元年(1865年)創業という歴史をもつ「丸屋履物店」や、明治43年創業の呉服店「尾張屋」など、老舗も建ち並んでいます。

東海道五十三次、日本橋からの最初の宿駅

京浜急行線と八ツ山通りの間を南北に走る細い道が旧東海道。
京急本線の北品川駅あたりから青物横丁駅までの東海道沿いがかつての宿場です。
目黒川を境に、北を北品川宿、南が南品川宿と称していました。

品川宿の本陣があったのは、現在の北品川2丁目で、品川旧本陣跡は品川区立の聖蹟公園になっています。
車は南行の一方通行になっているのも道幅が狭いため。

商店街を品川方面へ突き当たる八ツ山橋には、200mの遊歩道を整備。
五十三次の宿場名が書かれた道標と経過地の県木が植えられ、富士山や琵琶湖をジオラマで再現。
東京~京都間をミニサイズで楽しむことができます。

東海道の品川宿、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿が江戸四宿(えどししゅく)で、もっとも栄えていたのは、東海道の品川宿。
飯盛女(めしもりおんな=遊女)も他の3宿が150人ほどだったのに対して、500人を数えていました。
しかも実際には500人以上を抱え、「北の吉原、南の品川」といわれるほどの歓楽街でもあったのです。

江戸の街道の入口に配された江戸六地蔵のうち、第1番が品川寺(ほんせんじ/南品川3丁目)山門前に置かれています。
現存する江戸六地蔵像のうち唯一頭上に傘を載せていない地蔵尊です。

海蔵寺(南品川4丁目)は、品川宿の飯盛女を葬ったことから、投込寺とも称されていました。

東海道・品川宿
名称 東海道・品川宿/とうかいどうしながわじゅく
所在地 東京都品川区北品川2丁目
関連HP しながわ観光協会公式ホームページ
電車・バスで 京浜急行北品川駅からすぐ
ドライブで 首都高速芝浦ランプから約3.5m
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

海蔵寺

東京都品川区南品川4丁目にある時宗の寺が、海蔵寺(かいぞうじ)。永仁6年(1298年)創建の古刹で、江戸時代に品川宿が設置されて以降は、品川にあった鈴ヶ森刑場で処刑された人々、品川宿の飯盛女(事実上の遊女)、行き倒れの人などを葬ったことから

品川寺

東京都品川区南品川にある江戸三十三箇所観音霊場の第31番が品川寺(ほんせんじ)。寺伝では大同年間(806年〜810年)に空海(弘法大師)開山という古刹です(ただし空海が東国に布教に来たという裏付けはありません)。長禄元年(1457年)、江戸

 

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