東京都小笠原村、小笠原諸島・母島の玄関口で「ははじま丸」が着眼する沖港近く、かつてのロース石の石切場近くある、母島特産のロース石でできたミュージアムがロース記念館。母島の開拓者であるドイツ人、フレデリッキ・ロルフスラルフがこの石の活用を普及させたため、その名があります。
母島の歴史と民俗を紹介するミュージアム
建物はサトウキビから製造する砂糖が主産業だった大正2年の築造で、大正時代には桟橋前の砂糖倉庫として使われたもの。
戦後は農業協同組合母島支所売店と郵便局が間仕切りをして使用していました。
昭和59年、ロース石の石切場付近に移築し、ロース記念館として再生。
茅(かや)のない小笠原では、屋根はシュロ葉葺きとなっています。
館内には江戸時代末期に小笠原に定住したドイツ系住民フレデリッキ・ロルフスラルフ(後に帰化、良志羅留普と名乗る)の写真などの古写真や地図、小笠原特産の常緑高木タコノキの葉細工品、耐熱性に優れ加工しやすいという特性をもつ、ロース石(耐火性に優れ加工がしやすい凝灰岩)でできた七輪などの生活道具、島の住民が使用した捕鯨道具などの漁具、かつてサトウキビ栽培が盛んだった往時の製糖関連の道具や資料なそが展示されています。
明治9年に小笠原が日本の領土となってからは(小笠原に最初に定住したのは、1830年で、欧米人5名と太平洋諸島民20名余が移住し、サトウキビを栽培し、ラム酒を製造)、開拓移住民がサトウキビから砂糖を製造し、戦前は主要な農産物だったのです。
ちなみに、耐火性に優れたロース石は建築材だけでなく、竈(かまど)などにも使われ、母島から船で本土へと運ばれました。
ロース石の採石場は、かつては採掘跡が水溜りとなりプール代わりに子供たちが遊泳したといわれていますが、現在は、埋め立てられ、残されていません。
採石場のロース石はその一部が露頭状のまま残されています。
ロース記念館 | |
名称 | ロース記念館/ろーすきねんかん |
所在地 | 東京都小笠原村母島元地 |
関連HP | 小笠原村公式ホームページ |
電車・バスで | 母島沖港から徒歩10分 |
ドライブで | 母島沖港から800m |
駐車場 | 5台/無料 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag