上駒込村染井(現在の東京都豊島区駒込)で幕末から明治の初めに誕生したのがソメイヨシノ(染井吉野)。その発祥を記した「染井吉野桜発祥之里碑」が、JR山手線駒込駅北口の染井吉野桜記念公園に立っています。都市化が進むまで一帯は江戸・東京随一の園芸の里で、そんな染井でソメイヨシノが誕生したのです。
オオシマザクラ✕エドヒガン=ソメイヨシノで吉野には無関係!?
江戸時代中期から明治時代にかけて、現在の駒込(本郷追分で分岐する日光御成道沿い)、巣鴨(中山道沿い)周辺には、大名屋敷(下屋敷)が建ち並び、染井通り沿いには植木屋が並んでいました。
現在、六義園として観賞できる大名庭園は、柳沢家(柳沢吉保)の下屋敷。
その並びには、津藩藤堂家の下屋敷がありました。
オオシマザクラとエドヒガンの雑種である染井吉野(ソメイヨシノ)です。
交配して人工的に生み出された桜のため、ソメイヨシノ同士では結実できません。
日本全国に広がったソメイヨシノはすべて接ぎ木(つぎき)で増えたもの。
そのため、単一のクローン(遺伝情報)のため、病気や気候変動に弱いという欠点があり、野生の桜に比べて寿命が数十年と短いのが特徴です。
逆に、10年ほどで美しい花をつけることから、城跡、並木、庭園などの植栽に人気となったのです。
吉野山の桜は山桜なので、ソメイヨシノとはまったく無関係ですが、当初の「吉野」という名は、有名な名前に便乗して付けたものと推測できます(当時、桜といえば吉野の山桜でした)。
当初は「吉野」と名乗っていましたが、明治33年、博物学者・藤野寄命(ふじのよりなが)の調べで山桜とは異なる種の桜ということが明らかとなって、『日本園芸雑誌』誌上で染井吉野(ソメイヨシノ)と改名しています。
その後、日露戦争の戦勝を記念して植えられるなど、「ハラハラと散る桜」が、日本の軍国主義化とともに賛美されるという風潮もありました。
第二次世界大戦で焼け野原となった堤や並木などにも植栽され、今では見事な桜並木が全国に誕生しています。
ちなみに桜のシーズンに「通り抜け」で知られる大阪造幣局も、江戸時代は津藩藤堂家の大坂屋敷跡。
江戸上駒込村染井から取り寄せた桜120種400本を植えたのが、桜の名所としての始まりとか。
『江戸切絵図』に見る 駒込界隈
藤堂和泉守屋敷の前が染井通りで、その北側に植木屋が並んでいます。
松平時之助とあるのは幕末の大和郡山藩主・柳沢保申(やなぎさわやすのぶ)。
つまりは柳沢家下屋敷、現在の六義園です。
図の左上が王子方面で日光御成道が続いています。
ソメイヨシノ発祥の地 | |
名称 | ソメイヨシノ発祥の地/そめいよしのはっしょうのち |
所在地 | 東京都豊島区駒込2-2-1 |
関連HP | 豊島区公式ホームページ |
電車・バスで | JR・東京メトロ南北線駒込駅から徒歩すぐ |
ドライブで | 首都高速5号池袋線護国寺ランプから約3km |
駐車場 | なし/周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 豊島区コールセンター TEL:03-3981-1111 |
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