東京都北区田端にある真言宗豊山派の寺、東覚寺(とうがくじ)。延徳3年(1491年)、神田に創建し、その後、根岸を経て江戸時代初めに現在の地に移りました。山門の石造金剛力士立像は、病を患った部分に赤い紙を貼るという赤紙仁王として有名。江戸・東京で最古の七福神めぐりという『谷中七福神』の福禄寿を祀っています。
不動明王と『谷中七福神』の福禄寿を祀る
不動堂の前に立つ石造金剛力士立像は寛永18年(1641年)、疫病鎮護を目的に造立されたもので、もともとは田端村の鎮守・田端八幡神社(当時の別当寺が東覚寺)の社前にありましたが明治初年の神仏分離で東覚寺へ遷されました。
仁王(金剛力士像)は左右一対あるので、赤紙を貼るときには、最初に右の「阿」の像、次に左の「吽」の像と、両方の仁王の同じ場所に貼ります。
仁王(金剛力士像)の横に草鞋(わらじ)があるのは、めでたく病気が治った際には草鞋を奉納する風習があるから。
本堂には本尊の不動明王が祀られるほか、谷中七福神の福禄寿も安置されています(御開帳・朱印授与は1月1日〜10日のみ)。
本堂の脇の植え込みには、文化14年(1817年)の蜀山人(しょくさんじん=大田南畝)の狂歌「むらすずめ さはくち声も ももこえも つるの林の 鶴の一声」の碑が立っています。
鶴の一声は幕府の一声、雀の声は庶民の声を意味し、幕府の言論統制を皮肉ったものとも推測できます。
ちなみに田端という地名は、その名の通り、田の傍らの意。
東覚寺周辺は下田端と呼ばれ、八幡神社も厳密には下田端の鎮守。
明治20年、上野に東京美術学校が開校、明治29年に田端駅(当時は日本鉄道東北本線)が開業したこともあって、明治末期から昭和初期にかけては芥川龍之介、室生犀星、萩原朔太郎、菊池寛、堀辰雄、佐多稲子ら文士が集まり、「田端文士村」を形成していました。
東覚寺 | |
名称 | 東覚寺/とうがくじ |
所在地 | 東京都北区田端2-7-3 |
電車・バスで | JR田端駅から徒歩5分 |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 東覚寺 TEL:03-3821-1031 |
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