東京都江戸川区、新川千本桜の起点として平成22年に整備された広場が新川西水門広場。トイレ、新川千本桜のモニュメントとなる高さ15.5mの火の見櫓が建っています。新川は、行徳塩田の塩を江戸の街に運ぶ運河として寛永6年(1629年)に開削されたもの。
格式高い大名櫓をモデルにした火の見櫓がシンボル
新川開削までは、徳川家康の命により江戸川の旧河道を利用して修復された船堀川を利用して行徳塩田の塩、銚子からの東北諸藩の年貢米、さらには味噌、醤油が江戸へと運ばれていましたが、自然河川のままに蛇行する船堀川では不便だったため、新川を開削。
船堀川を、古川、新しく開削した運河を新川と名付けたのです(古川は古川親水公園として再生)。
江戸時代の半ばには人の往来も増え、成田詣の人々を乗せた行徳船が行き交うようになりました。
江戸の大旦那が芸者衆を引き連れて、行徳船で成田詣をしたのもこの新川経由です。
明治時代には蒸気船も就航し、物流の大動脈であり続けましたが、昭和19年に通船が廃止されて、運河としての役割を終えています。
昭和37年〜昭和40年にかけて、工業化による地盤沈下が進み高潮に耐えられなくなったため、新川西水門、新川東水門を、昭和41年〜昭和43年に新川排水機場を設置し、高潮や異常潮位の際には新川排水機場から中川に排水していました。
昭和51年には新川西水門、新川東水門を閉鎖し、川の水位を周辺の土地より低く調整して安全性を向上させ、さらに水質の汚濁を防ぐため、旧江戸川から浄化用水を取り入れ、中川に排水しています。
親水河川として蘇った新川のシンボルが新川西水門広場の火の見櫓で、新川西水門の柱部分のみ遺構として保存。
火の見櫓は江戸時代の最も格式の高い大名櫓をモデルにしています(江戸時代の火の見櫓は、黒板囲いは大名櫓、白板囲いは定火消櫓、町内自身番は板囲いのない駈上りと定められていました)。
土曜・日曜、祝日と桜の開花期には火の見櫓の見学も可能。
新川西水門広場 | |
名称 | 新川西水門広場/しんかわにしすいもんひろば |
所在地 | 東京都江戸川区船堀2-1 |
関連HP | 江戸川区公式ホームページ |
電車・バスで | 都営新宿線船堀駅から徒歩10分 |
問い合わせ | 江戸川区土木部保全課 TEL:03-3652-1151 |
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