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下練馬・ふじ大山道道標

下練馬・ふじ大山道道標

東京都練馬区、旧川越街道の下を東京都道311号(環状八号線)が通過する部分、旧川越街道路側の園地にあるのが下練馬・ふじ大山道道標。富士講が全盛時代の江戸時代中期〜明治時代、富士山と丹沢・大山の登拝を「両詣り」が盛んに行なわれ、その大山へと続く大山街道の現存する貴重な標石(しるべいし)です。

「下練馬の大山道道標」として練馬区の文化財にも指定

宝暦3年(1753年)に下練馬村講中が立てた「ふじ大山道 田なしへ 三里 府中江 五里」と陰刻された標石で、中山道の志村から川越街道の下練馬宿を通り、府中へと抜ける大山街道は、富士山への参詣者も通ったため「ふじ大山道」と呼ばれていました。
環八通りを含む富士街道が、この「ふじ大山道」にあたります。
環八通りの開通によって現在地に置かれていますが、以前は旧川越街道と「ふじ大山道」との分岐に置かれていました。
上部に不動明王像が配されていますが、この像は後に制作されたものと推測されています。

練馬区内には中里の富士塚、下練馬の富士塚、江古田の富士塚、氷川神社富士塚(練馬区北町)と富士塚が4ヶ所も残され、富士講が盛んだったエリアなので、こうした標石が残されたのかもしれません。
ふじ大山道道標の左側にある角柱石造物は、「東高野山」と称される長命寺(練馬区高野台3丁目)への道標で、「左東高野山道みち」と刻まれています。
ふじ大山道道標、東高野山道の標石は、いずれももともとは8mほど東側にあり、しかも東高野山道の標石は江戸方面から来る人のため、東南東の向きに置かれていました。

下練馬・ふじ大山道道標から旧川越街道の下練馬宿(下練馬宿は江戸側から下宿 ・中宿 ・上宿の3宿で構成)を川越方面(西側)に5分ほど歩いた北町浅間神社には、練馬上宿、中宿の丸吉講(まるきちこう=富士講)が江戸時代後期に築いた(明治5年、昭和2年に修築)「下練馬の富士塚」(しもねりまのふじづか)もあるので、合わせて見学を。

下練馬・ふじ大山道道標
名称 下練馬・ふじ大山道道標/しもねりま・ふじおおやまみちどうひょう
所在地 東京都練馬区北町1-25
関連HP 練馬区公式ホームページ
電車・バスで 東武練馬駅から徒歩8分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 練馬区地域文化部文化・生涯学習課 TEL:03-5984-2442
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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