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宝萊山古墳

宝萊山古墳

東京都大田区田園調布にある多摩川流域最古の前方後円墳が宝萊山古墳(ほうらいさんこふん)。最近の発掘調査から墳丘長97.5mで4世紀前半頃の築造と判明し、芝丸山古墳(墳丘長112m)同じ田園調布にある亀甲山古墳(107m)とともにいわば「東京三大古墳」にも数えられる古墳です。

古墳時代前期築造、関東地方でも最古級の古墳

大田区立多摩川台公園古墳展示室に展示される出土品のレプリカ

多摩川下流域左岸、武蔵野台地上、標高37.5mの場所に築かれた前方後円墳。
昭和9年に後円部の3分の2が宅地造成工事で削平されましたが、前方部を含めた残存部は今も良好な形状を保っています。

昭和9年の宅地造成工事で、宝萊山古墳の墳頂下3mから被葬者を納めた木棺を覆っていた粘土槨(かく)が発見され、倣製四獣鏡(ぼうせいしじゅうきょう=中国製の獣帯鏡を模倣した日本製の鏡)、勾玉(まがたま)、碧玉(へきぎょく)、製紡錘車(ぼうすいしゃ)形石製品、管玉、直刀(ちょくとう)などが出土しています。
剣、玉、鏡はヤマト王権の「三種の神器」のような存在で、ヤマト王権との関係性がよくわかります。

小さな谷を隔てて向き合う亀甲山古墳は4世紀後半の築造と推測され、宝萊山古墳に続く古墳です。

多摩川流域には弥生時代に米作が行なわれ、ヤマト王権との交流から新しい文化や技術を導入(ヤマト王権に従属を誓い、首長であることの承認を受け、技術を導入)。
その首長墓が、宝萊山古墳(四獣鏡が出土)、亀甲山古墳だと推測できます(多摩川台古墳群内にあって、最初に出現した多摩川下流域の首長墓)。

現在の一帯は多摩川台公園として史跡整備され、出土品のレプリカが大田区立多摩川台公園古墳展示室で展示されています。

宝萊山古墳
名称 宝萊山古墳/ほうらいさんこふん
所在地 東京都大田区田園調布4-4-1
関連HP 大田区公式ホームページ
電車・バスで 東急多摩川線多摩川駅から徒歩15分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 大田区郷土博物館 TEL:03-3777-1070
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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