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井草八幡宮

井草八幡宮

東京都杉並区の善福寺公園東側、善福寺川の源流部に鎮座する古社が、井草八幡宮。平安時代に春日社(春日権現)として創建されましたが、源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡を攻める際に、戦勝祈願を行ない、八幡宮になったもの。中世には武神(遅野井八幡宮)として関東の武将たちに尊崇された社です。

源頼朝が八幡神(八幡大菩薩)を勧請したと伝える古社

東参道の大鳥居

23区内にありながら、都内でも有数の広大な社叢(しゃそう)を有する社で、一帯の地名が遅野井(おそのい)であったことから(善福寺川も遅野井川と称していました)、遅野井八幡宮と称していました。
文治5年(1189年)夏、源義経を匿(かくま)う、藤原泰衡(ふじわらのやすひら)を追討するため、鎌倉を出陣した源頼朝は、遅野井の地に陣を張り、春日権現に戦勝祈願。
霊源頼朝が、自ら手植して奉献したと伝えられた老松(東京都の天然記念物「井草八幡の松」=雄松)は、昭和48年に枯死しています。

文明9年(1477年)、江戸城を築いた太田道灌(おおたどうかん)は、石神井城(現・東京都練馬区)の豊島泰経が長尾景春に呼応したため、江戸城と川越城(河越城)が分断され、それを解消するために石神井城を攻略。
その際、源頼朝の故事にならって遅野井八幡宮(井草八幡宮)に戦勝祈願をしています。

江戸時代には、3代将軍・徳川家光が寺社奉行・井上正利(いのうえまさとし)に命じて社殿を造成しています。
社殿は、本殿、拝殿を幣殿で結ぶ権現造り(ごんげんづくり=寺院建築の様式を採り入れた神仏習合時代の建築様式)。
本殿はコンクリートに覆われたなかに、寛文4年(1664年)に今川氏堯(いまがわうじなり)が改築した一間四方の朱塗の本殿があり、杉並区最古の木造建築物となっています。
神社入口、青梅街道に面して建つ高さ9mの大鳥居は、昭和33年建立。
大鳥居から続く東参道にある灯籠は、文政元年(1818年)、富士講「丸を講」の奉納で、杉並区の文化財になっています。
社殿の裏側には富士塚(井草富士塚)も築かれ(本殿南西から昭和50年に移築)、富士山信仰の隆盛を今に伝えています。

例祭は、例年9月30日が宵宮で、10月1日が当日祭(年によって変動あり)。
3年に一度、神輿が氏子区域を渡御する『神幸祭』、5年に一度、東参道での流鏑馬(やぶさめ)神事、神輿の青梅街道渡御が執り行なわれています。

初宮詣、七五三など本殿でのご祈祷(昇殿祈願)も可能。

井草八幡宮
名称 井草八幡宮/いぐさはちまんぐう
所在地 東京都杉並区善福寺1-33-1
関連HP 井草八幡宮公式ホームページ
電車・バスで JR西荻窪駅、西武新宿線上石神井駅から徒歩20分、JR・東京メトロ荻窪駅から徒歩35分
ドライブで 中央自動車道高井戸ICから約6km
駐車場 参拝者駐車場(北駐車場は土・日曜、祝日のみ開設)
問い合わせ 井草八幡宮 TEL:03-3399-8133/FAX:03-3397-4088
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

善福寺公園

東京都杉並区にある善福寺川の水源となる善福寺池を中心とした8haに及ぶ都市公園が、善福寺公園。都立公園で、善福寺池の湧水(2本の井戸で汲み上げ)は、善福寺公園の南西にある東京都水道局杉並浄水所の水源としても活用されています。周囲は武蔵野の森

善福寺公園・遅の井の滝

東京都杉並区にある都立公園が、善福寺公園。武蔵野三大湧水池に数えられる善福寺池(上の池)の畔にあるのが遅の井の滝(おそのいのたき)で、善福寺池の湧水のひとつ。残念ながら現在は自然湧水ではなく、地下水をポンプで汲み上げて流して復元していますが

 

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