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護国寺・大仏

護国寺・大仏

東京都文京区大塚5丁目にある真言宗豊山派の大本山が護国寺。天和元年(1681年)、5代将軍・徳川綱吉は母・桂昌院(けいしょういん=3代将軍・徳川家光の側室)の願いを受け、護国寺を創建。境内にある大仏(毘盧遮那仏)は、筑波山大権現(現・筑波山神社)の別当・護持院から移されたもの。

もともとは筑波山の別当・護持院にあったもの

像高2.5mの「筑波山大仏」

天正18年(1590年)、徳川家康は江戸城に入城しますが、東北に聳える筑波山を仰いで江戸城鎮護の霊山と崇め、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦に勝利すると、筑波山の社家・筑波氏を追放して大和国・長谷寺の梅心院宥俊を筑波別当にし、知足院を再興して将軍家の祈願所としています。
さらに、慶長15年(1610年)に江戸・白銀町に護摩を焚くための祈願所として護摩堂を建立。
綱吉の代になって貞享元年(1684年)、護摩堂を湯島に移し、さらに元禄元年(1688年)、境内を広くして神田橋外に新たに護摩堂を建立しています。

元禄8年(1695年)には筑波山の本坊、そして江戸の護摩堂ともに護持院と改称し、神領は1500石を数え、江戸幕府の祈願所として隆盛を極めたのです。
江戸の護持院は享保2年(1717年)に、火事で焼失し、護国寺の境内へ。

明治の神仏分離、廃仏毀釈の荒波で、筑波山の護持院は筑波山神社に変わり、江戸の護持院は、廃寺になったのです。

護国寺には、筑波山の護持院から、銅製宝塔、銅像大仏、銅製金剛力士、銅像地蔵菩薩立像などが運ばれて、廃仏の難を逃れていますが、大仏も霞ヶ浦に捨てられたものを護国寺に移したものといい、筑波山大仏ということに。

護国寺・大仏
名称 護国寺・大仏/ごこくじ・だいぶつ
所在地 東京都文京区大塚5-40-1
関連HP 護国寺公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ有楽町線護国寺駅から徒歩すぐ
ドライブで 首都高速5号線護国寺出口から約500m
駐車場 桂昌殿駐車場(70台/有料)を利用
問い合わせ 護国寺 TEL:03-3941-0764/FAX:03-3941-0721
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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