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日野宿本陣

日野宿本陣

東京都日野市日野本町2丁目にある東京都内に現存する唯一の本陣の遺構が、日野宿本陣。甲州街道の日本橋から数えて10番目の宿場町、日野宿の本陣で、新選組局長の近藤勇と土方歳三(ひじかたとしぞう)、沖田総司などが出会うのは、本陣の前に築かれた天然理心流の道場で。新選組ゆかりの地にもなっています。

本陣を建てた当主・佐藤彦五郎の義理の弟が、土方歳三

現存する日野宿の本陣は、幕末に日野宿の名主を務め、問屋の責任者であった佐藤彦五郎の屋敷で、嘉永2年(1849年)正月の大火で焼失後に再建された建物で、元治元年(1864年)の築。
現存する本陣を建てた当主・佐藤彦五郎に、土方歳三の姉・らんが嫁いでいるので、土方歳三は義理の弟ということに。

日野大火に乗じて祖母を目の前で殺害されたため、佐藤彦五郎は自衛の大切さを知り、八王子千人同心石阪組世話役・井上松五郎(いのうえまつごろう/弟は新選組六番隊長の井上源三郎)から紹介された井上の師である天然理心流3代目宗家・近藤周助(こんどうしゅうすけ=近藤勇の養父)に入門。
見る間に腕を上げ、4年後には免許皆伝となっています。
同時に、本陣の長屋門を改装して道場を開いてもいるのです。

この道場に近藤勇や沖田総司、山南敬助らが訪れ、剣術を教えるようになったのが後に新選組局長となる近藤勇。
近藤と土方歳三、沖田総司、井上源三郎、山南敬助ら新選組主要メンバーはここで出会ったので、まさに新選組ゆかりの地ということに。
14代将軍・徳川家茂が上洛するために新選組の前身、浪士組や八王子千人同心の井上松五郎が警護にあたるのは文久3年(1863年)2月のことなので、現存する本陣が安静するのは家茂上洛の翌年ということに。

明治維新後、明治天皇も明治13年の行幸、明治14年の狩猟と2年続けて佐藤家(日野宿本陣)で小休止をし、邸内の井戸の水を使っているので、「明治天皇日野御小休所趾及建物附御膳水」石碑が立っています。

日野市内には日野宿本陣から南へ徒歩15分ほどの場所に、「新選組のふるさと歴史館」、東京モノレール万願寺駅近くには、土方歳三の墓がある石田寺もあります。

ちなみに、甲州街道では日野宿本陣のほか、小原宿本陣(神奈川県相模原市緑区)、花咲宿本陣(山梨県大月市/国の重要文化財「甲州街道花咲本陣」星野家住宅)が現存しています。

日野宿本陣
名称 日野宿本陣/ひのじゅくほんじん
所在地 東京都日野市日野本町2-15-9
関連HP 日野宿本陣公式ホームページ
電車・バスで JR日野駅から徒歩10分
ドライブで 中央自動車道国立府中ICから約4.5km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 日野宿本陣 TEL:042-586-8808
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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