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徳冨蘆花旧宅

徳冨蘆花旧宅

東京都世田谷区粕谷1丁目、都立公園の蘆花恒春園(ろかこうしゅうえん)内、「恒春園区域」にあるのが、徳冨蘆花旧宅。もともと蘆花恒春園は、明治の文豪・徳冨蘆花自身が晩年を過ごした旧宅の寄贈を受け、昭和13年2月27日に開園した公園。「恒春園」という名も徳冨蘆花の命名です。

徳冨蘆花が晴耕雨読の田園生活を送った家

徳冨蘆花は、明治元年10月25日(1868年12月8日)、肥後国葦北郡水俣村(現・熊本県水俣市)の豪農の家に次男として生誕。
明治22年に上京し、明治30年に逗子に転居、『国民新聞』に代表作となる小説『不如帰』を連載。
明治33年、青山・高樹町の借家に移りますが、明治40年に青山から東京府北多摩郡千歳村粕谷(千歳村は昭和11年に東京市に編入、現・蘆花恒春園)に転居し、文壇と離れ、トルストイの影響による半農生活を送り、その自宅を大正7年に「恒春園」と命名しています。
この粕谷の地で著した『みゝずのたはこと』は、蘆花自身が「田園生活のスケッチ」という内容ですが、関東大震災までの11年で10万余部を売るヒットに。

昭和2年に心臓発作で倒れ、伊香保温泉で療養中の9月18日、老舗旅館「千明仁泉亭」(ちぎらじんせんてい)で没(徳冨蘆花終焉の地である離れは、「徳冨蘆花記念文学館」に移築保存)。
愛子夫人は昭和22年、熱海で永眠。

徳富蘆花は、その頃盛んに宣伝をしていた伊香保温泉を愛し、ベストセラー小説『不如帰』の出だしも「上州伊香保千明の三階の障子開きて、夕景色をながむる婦人。年は十八九。品よき丸髷に結いて、草色の紐つけし小紋縮緬の被布を着たり。」と伊香保温泉(『不如帰』のヒットで、さらに伊香保温泉の名声が高まりました)。


茅葺き屋根の母屋(徳冨蘆花旧宅)、愛子夫人居宅、表書院「梅花書屋」、幸徳秋水にちなんで命名された奥書院「秋水書院」(書斎と寝室)が残され、隣接する共同墓地に墓があります。
周囲は蘆花の愛した雑木林です。
建物群は老朽化により昭和58年~昭和60年度にかけて改修され、東京都の史跡に指定されています。

ちなみに最寄り駅の京王線芦花公園駅は、大正2年4月15日、京王電気軌道・上高井戸駅として開業、蘆花恒春園の開園を受けて、昭和12年9月1日に芦花公園駅に改称されたもの。

徳冨蘆花旧宅
名称 徳冨蘆花旧宅/とくとみろかきゅうたく
所在地 東京都世田谷区粕谷1-20-1
関連HP 東京都公園協会公式ホームページ
電車・バスで 京王線芦花公園から徒歩15分、小田急線千歳船橋から京王バス千歳烏山行き「芦花恒春園」下車徒歩7分
ドライブで 首都高速高井戸ランプから約3km
駐車場 44台/有料
問い合わせ 蘆花恒春園サービスセンター TEL:03-3302-5016
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

蘆花恒春園

東京都世田谷区にある都立公園が蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)。明治から大正期にかけて活躍した文豪、徳冨盧花(とくとみろか)。武蔵野の自然を愛し、彼が妻・愛子とともに晩年を過ごした旧宅を中心に庭園を整備・保存、昭和13年2月27日に開園した

徳冨蘆花記念文学館

群馬県渋川市の伊香保温泉にある徳冨蘆花の記念館が徳冨蘆花記念文学館。徳冨蘆花が著した小説『不如帰』(ほととぎす/明治31年〜明治32年、『国民新聞』連載)が大ベストセラーとなり、伊香保ブームが到来、多くの文人が訪れるように。その徳冨蘆花終焉

芦花公園駅

東京都世田谷区南烏山3丁目にある京王電鉄京王線の駅が、芦花公園駅(ろかこうえんえき)。大正2年4月15日、京王電気軌道の上高井戸駅として開業、昭和12年9月1日、芦花公園駅に改称。令和4年現在、連続立体交差事業で駅の高架化工事が進行していま

 

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