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船員教育発祥の地碑

船員教育発祥の地碑

東京都中央区新川1丁目、隅田川に架る永代橋(えいたいばし)の西詰に立つのが、船員教育発祥の地碑。明治維新後、鎖国時代が続いたことから欧米列強との大きな差があったのが海運力。そのため、明治8年11月、「三菱商船学校」が隅田川河口の永代橋畔の霊岸島(れいがんじま)に開設されました。

日本最初の近代的な船員育成学校が霊岸島に開校

内務郷・大久保利通は、明治政府の自立的な海運改革を進めるにあたり、船舶運航技術に熟練した船員をを育てることが急務であることを提唱。

実は、明治7年10月、台湾に漂着した宮古島島民54人が先住民との意思疎通ができなかったことで殺害される事件(宮古島島民遭難事件)が発生したことを受けての台湾出兵では、6000名の兵力を台湾に輸送しましたが、この時に、輸送力不足が問題となったのです。
大久保利通は、有事の際の兵員徴用を前提に、民族資本の海運会社を育成することが急務だと考え、岩崎弥太郎に船員育成を委ねたのです。

当時、蒸気船はほとんどが外国人によって運航され、日本人の船員は育っていなかったのです。

三菱会社長・岩崎弥太郎は、明治8年11月1日この地に三菱商船学校を開校(授業開始は、明治9年1月24日、校長・中村六三郎)。
校章はスリーダイヤに錨の組合せでした。
校舎兼練習船は三菱蒸気船会社(明治3年、土佐藩が藩有汽船を基に設立した九十九商会を譲り受けた会社、明治18年、日本郵船に改称)の成妙丸(せいみょうまる)を帆船に改造したもので、遠洋航海には三菱蒸気船会社の社船を使い、ヨーロッパまでも航海実習をしています。

明治15年3月15日に官立に移管され、東京商船学校に。
その後、東京商船大学(現・東京海洋大学海洋工学部)へと発展しています。

船員教育発祥の地碑
名称 船員教育発祥の地碑/せいいんきょういくはっしょうのちひ
所在地 東京都中央区新川1-30先
電車・バスで 東京メトロ茅場町駅から徒歩10分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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