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歯科医学教育発祥の地碑

歯科医学教育発祥の地碑

東京都港区三田4丁目、二本榎通り・聖坂と伊皿子坂の交差点に立つのが、歯科医学教育発祥の地碑(歯科医学教育発祥之地碑)。アメリカ留学を終えた高山紀齋(たかやまきさい)は、明治23年1月、芝区伊皿子町70番地に高山歯科医学院(東京歯科大学の前身)を設立。それを記念する黒御影石の碑です。

明治23年1月、この地で歯科医学教育が始まる!

高山紀齋は、嘉永3年12月12日(1851年1月13日)、備前国岡山(現・岡山市)に生誕。
幕末には新政府軍に参戦し、上野戦争で彰義隊と戦ってもいます。

慶應義塾に入塾し英学を修め、明治5年12月、横浜から船で渡米してサンフランシスコのバンデンボルグ(Dr.Daniel Van Denburgh)から歯科医学を学んでいます。
帰国後は、明治11年6月、京橋区銀座3丁目14番地第3戸に高山歯科診療所を開設、明治17年9月には東京医術開業試験委員に就任しています。
明治23年1月18日、自宅に隣接する芝区伊皿子町、スペイン公使館の跡地に高山歯科医学院を創設、黎明期にあった日本の歯科医学教育に尽力。

昼は銀座の診療所で診察にあたり、夜は自宅で欧米の歯科医学書を学ぶなど、先進的な医療知識と治療技術の移入にも勢力を注ぎ、明治29年11月28日、日本歯科医会を設立、明治35年1月20日にはその初代会長にも就任しています。


『高山歯科医学院規則』(明治25年5月改定)
総則第1条
「本院ハ欧米歯科諸大学中最モ高尚適實ナル科目ニ倣ヒ本邦歯科ノ程度ヲ斟酌シ必須ノ  学術ヲ教授シ且之ヲ實地ニ練修セシメ高尚ナル歯科医ヲ養成スル所トス」

歯科医学教育発祥の地碑
名称 歯科医学教育発祥の地碑/しかいがくきょういくはっしょうのちひ
所在地 東京都港区三田4-18
関連HP 港区観光協会公式ホームページ
電車・バスで 都営地下鉄・京浜急行泉岳寺駅から徒歩5分。東京メトロ白金高輪駅から徒歩10分。JR高輪ゲートウェイ駅から徒歩12分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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