東京都荒川区南千住3丁目、隅田川の畔、白鬚橋近くにある古社が、石浜神社。神亀元年(724年)、聖武天皇の命によって創建されたと伝えられ、源頼朝が奥州征伐の際に戦勝を祈願するなど、関東武士の尊崇を集めた神社です。中世には一帯に石浜城があったとされ、神社の南には石浜城址公園もあります。
境内には富士遥拝所(富士塚)も!
祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受大御神(とようけのおおみかみ)の2柱。
天保7年(1836年)、斎藤月岑が刊行した江戸の地誌『江戸名所図会』(挿図・長谷川雪旦)には、石濱神明宮(石浜神明宮)として描かれています。
鎌倉時代の奥州街道は、石浜村で戸田川(後の隅田川)を渡ったとされ、この地に鎮座した石濱神明宮は、橋場の渡し(真崎の渡し)の鎮守社として、戦勝祈願にも最適の社だったのでしょう。
神宮(伊勢神宮)と同じ祭神のため、江戸時代に伊勢参りが流行すると、石濱神明宮も多くの信者を集めたのです。
『伊勢物語』(在原業平)の「名にし負はば いさこととはん 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」が刻まれた都鳥歌碑は、文化2年(1805年)の建立。
境内社の真崎稲荷神社は、天文年間(1532年〜1555年)に石浜城の城主となった千葉守胤(ちばもりたね=武士でありながら和歌を嗜んだ文化人)が武運守護で創建したと伝えられ、真先(まんさき)駆ける武功という意味にちなみ、真先稲荷(まっさきいなり)とも称して、江戸の景勝地として知られた社です。
大正15年、石浜神社に合祀されています。
境内にある富士塚(白髭富士)は、宝暦8年(1758年)に築かれた富士遥拝所。
昭和63年、隅田川スーパー堤防工事の完成で石浜神社がこの地に遷座した際、移築されたもので、溶岩が積み重なっていますが、登拝はできません。
富士遥拝所というように、往時には大川(隅田川)の河畔は、筑波山、富士山を眺める景勝地だったのです。
石浜神社の少し上流、現在の千住仲町から千住関屋町付近が関屋ですが、葛飾北斎の『富嶽三十六景』の「隅田川関屋の里」にも掃部堤(かもんづつみ=現・墨堤通り)からの富士山が描かれています。
「二三町にして白鬚橋の袂に至る。其形永代橋に似たる鉄橋なり。橋をわたりて橋場の岸に至るに、物揚場の鉄骨のかげに真崎稲荷の石灯籠と石浜神社の鳥居の立ちたるさま見るも哀れなり」(永井荷風『断腸亭日記』/昭和10年)と記されていますが、白鬚橋は、関東大震災後の帝都復興で昭和6年に架橋された橋です。
昭和52年に復活した「浅草名所七福神」の寿老神を祀っています。
石浜神社 | |
名称 | 石浜神社/いしはまじんじゃ |
所在地 | 東京都荒川区南千住3-28-58 |
関連HP | 石浜神社公式ホームページ |
電車・バスで | JR・東京メトロ南千住駅から徒歩20分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 石浜神社 TEL:03-3801-6425 |
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