東京都葛飾区東水元2丁目にある天台宗の寺が、南蔵院。かつては本所吾妻橋(現・墨田区)にありましたが、関東大震災の被災で昭和元年、現在の水元公園の近くに移転。境内にあるしばられ地蔵は、大岡裁き(『大岡政談』)でおなじみの地蔵尊(因果地蔵)。
境内にある「しばられ地蔵」で有名
南北朝時代の貞和4年・正平3年(1348年)、林能が創建した寺で、寺では業平山南蔵院と称するように、在原業平(ありわらのなりひら)ゆかりの寺としています。
在原業平が東下りの際、大川(隅田川)の水難者供養で、法華経を写経して塚に納めたと伝えられますが、その業平塚の傍らに創建されたのが南蔵院で、往時には業平天神社も祀られていました。
ただし『伊勢物語』に記された在原業平の東下りは、史書には記載がないため、史実かどうかは定かでなく、しかも9世紀(平安時代初期)のことなので、南蔵院創建までには400年近い年月が流れているので、あくまでも業平伝説の地に創建ということに。
しばられ地蔵は、元禄14年(1701年)の建立。
祈願するときは地蔵尊を縄で縛り、成就したときには縄を解くことから、しばられ地蔵という名が生まれています。
大岡忠相が江戸町奉行(南町奉行)となったのは享保2年(1717年)なので、建立から間もない時期ということに(ただし、史実としての関係性はなく、地蔵が縛られるという風習から物語が生まれたと推測できます)。
12月31日23:00〜、しばられ地蔵尊『縄解き供養』が行なわれ、解かれた縄は祈祷護摩の火でお焚き上げを実施。
12月31日と元日には厄除けから縁結びまで、あらゆる願い事を結ぶ開運の縁起『結びだるま市』も開かれています。
境内に茂る聖徳の松は、移転前にこの地にあった天台宗の寺で、明治初年の廃仏毀釈の荒波で廃寺になった聖徳寺ゆかりの松。
境内にある「お休み処」では、抹茶(茶菓子付)、アイスどら焼を味わうことができます。
境内の背後に水元公園(みずもとこうえん)があるので、散策途中の立ち寄り、参詣にも絶好です。
ちなみに文京区の林泉寺(りんせんじ)にもしばられ地蔵があり、願掛けの際に地蔵尊を縄で縛り、願いが叶うと縄を解くというしきたりがあります。
『大岡政談』に記載の「しばられ地蔵」とは!?
木綿問屋「山形屋」に丁稚奉公する喜之助が風呂敷包みに入れた55反のさらしを届ける途中、業平橋の因果地蔵尊で一眠りしたところ、風呂敷包みを盗まれてしまいます。
それを南町奉行・大岡越前が裁断しますが、因果地蔵を白州に置き、衆人環視で裁きます。
科料を申し付け、さらしに名前を書かせて提出させたところ、見事に山形屋の商品を発見。
持ち主を尋問し、ついには盗んだ真犯人・本所小梅の御家人、一刀又郎を見つけ出すという説話です。
『大岡政談』には16編の話が掲載されていますが、明治29年『帝国文庫』に収録された「大岡政談」16篇がルーツで、享保時代に生じた事件を題材としているものはわずかに3篇(「直助権兵衛事件」、「天一坊事件」、「白木屋お駒事件」)、しかも大岡忠相が担当した事件は「白子屋阿熊」(「白子屋お熊事件」)のみなのです(しかも、その内容も、史実とは異なります)。
「直助権兵衛事件」にしても大岡裁きという話になっていますが、実際には北町奉行・中山時春の裁き。
それ以外の話は裏付けがなく、中国の『棠陰比事 』(とういんひじ)、井原西鶴によるその模擬作『本朝桜陰比事』などを模したもの。
「しばられ地蔵」を含め多くの話は、江戸時代(おもには江戸時代後期)に講談師が創作したものだと推測できます。
南蔵院(しばられ地蔵) | |
名称 | 南蔵院(しばられ地蔵)/なんぞういん(しばられじぞう) |
所在地 | 東京都葛飾区東水元2-28-25 |
関連HP | 南蔵院(しばられ地蔵)公式ホームページ |
電車・バスで | JR金町駅・京成電鉄京成金町駅から徒歩20分 |
駐車場 | 7台/無料 |
問い合わせ | 南蔵院(しばられ地蔵) TEL:03-3607-1758/FAX:03-3607-8333 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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