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文京区立森鴎外記念館

文京区立森鴎外記念館

東京都文京区千駄木1丁目にある、文豪・森鴎外のミュージアムが、文京区立森鴎外記念館。文京区は森鴎外が大正11年7月9日に没するまで、『青年』、『雁』、『高瀬舟』など数々の名作を著した「観潮楼」があったゆかりの地。記念館の建つ場所は森鴎外の旧居「観潮楼」の跡地です。

森鴎外の旧居「観潮楼」の跡地に建つ記念館

森鴎外は、明治25年(30歳の時)に夏目漱石が小説『吾輩は猫である』を書いたことで知られる「猫の家」から、2階の書斎から東京湾が遥かに見える「観潮楼」へと転居。
大正11年7月9日、60歳で没するまでこの地で暮らしていましたが、「観潮楼」は残念ながら戦災で焼失しています。
戦後、跡地は記念公園(児童遊園地)となった後、昭和37年(鴎外生誕100年の年)、「鴎外記念室」を併設した「文京区立鴎外記念本郷図書館」が開館し、それが現在の記念館の前身です。

平成18年、図書館移転に伴い(現・本郷図書館)、記念室は独立して「本郷図書館鴎外記念室」となり、さらに新しい建物を建設し、平成24年11月1日、文京区立森鴎外記念館として開館しています(森鴎外生誕150年を記念して開館)。

建物は、陶器二三雄(とうきふみお)の設計で、若き森鴎外が学んだドイツの歴史的街並を彷彿させるよう、外壁はレンガを張ってからわざわざ削った凝った造り。
モダンな建物ですが、実際には外壁レンガの削りなど、職人の技を駆使した手仕事の集大成になっているのだか。

森鴎外は小説家以外に、陸軍軍医(明治40年には陸軍軍医総監・陸軍省医務局長に就任)、戯曲家、評論家、翻訳家、帝室博物館総長兼図書頭などの多才な顔がありますが、展示内容からそんな鴎外の人物像にも迫ることができます。

森鴎外の記念館は、故郷・島根県津和野町の森鴎外旧宅に隣接して、森鴎記念館が建ち、生誕地と活躍した文京区と、2ヶ所あります。

文京区立森鴎外記念館
名称 文京区立森鴎外記念館/ぶんきょうくりつもりおうがいきねんかん
所在地 東京都文京区千駄木1-23-4
関連HP 文京区立森鴎外記念館公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ千駄木駅から徒歩5分
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 文京区立森鴎外記念館 TEL:03-3824-5511
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

森鴎外記念館

文久2年1月19日(1862年2月17日)、石見国津和野(現・島根県津和野町)に生まれ、軍医、作家としてその名を知られる森鴎外(本名:森林太郎)の生家(森鴎外旧宅)に隣接して建てられているのが森鴎外記念館。館内には森鴎外に関する貴重な映像や

森鴎外旧宅

島根県津和野町、津和野川東岸に位置する、森鴎外(林太郎)の旧宅。森鴎外は文久2年1月19日(1862年2月17日)、石見国鹿足郡津和野町田村(現・島根県津和野町町田)で、代々藩医だった森家の長男として誕生。明治5年に11歳で上京するまでの1

藪下通り

東京都文京区千駄木、根津神社裏門あたりから、本郷台地の縁(へり)に沿って駒込へと続く道が、藪下通り。崖の上の薮の下を通ったことが名の由来と推測され、途中には汐見坂と呼ばれる部分があるので、往時には海が見えたことがわかります。しろへび坂周辺の

しろへび坂

東京都文京区千駄木1丁目・2丁目、文京区立森鴎外記念館(観潮楼跡)近く、藪下通りから本郷台地下の不忍通りへと下る階段の坂道が、しろへび坂。文京区立第八中学校の北側に沿うように階段が続いていますが、すぐ近くに有名な団子坂があるため、隠れた坂道

 

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