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泉岳寺・浅野長矩の墓

泉岳寺・浅野長矩の墓

東京都港区高輪2丁目、曹洞宗の寺で、赤穂浪士の墓地のある泉岳寺境内にあるのが、浅野長矩の墓(あさのながのりのはか)。浅野長矩は、江戸城松之大廊下で吉良上野介(きらこうずけのすけ=吉良義央・きらよしひさ)を切りつけた赤穂藩の第3代藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)のこと。

『忠臣蔵』で知られる浅野内匠頭の墓が泉岳寺に

元禄14年3月14日(1701年4月21日)、江戸城松之大廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかったことに発する大事件が、赤穂事件。
名家として名高い吉良家に対しての逆恨みともされる遺恨による殿中刃傷事件ですが、事件の真相は今も明らかではありません。

浅野内匠頭は、陸奥一関藩主・田村建顕の芝愛宕下邸(現・東京都港区新橋4丁目)に預けられ、将軍家は江戸城内における殺傷事件ということで、幕府の権威を傷つけたことから即日切腹と赤穂浅野家5万石の取り潰しを命じます。
幕府の1年間の行事の中でも最も格式高い儀式の行なわれる日に、殺傷に及んだのですから、切られた側の吉良上野介は「浅野内匠頭の乱心」と答えています。

事件後、浅野内匠頭は、田村邸へと護送されますが、この時点で、すでに切腹が決定。
磯田武大夫(幕府徒目付)の介錯で切腹しています。

浅野家家臣の片岡高房、糟谷勘左衛門、建部喜六、田中貞四郎、礒貝正久、中村清右衛門がたむら亭へと出向いて遺体を引き取り、泉岳寺に埋葬されています(戒名は冷光院殿前少府朝散大夫吹毛玄利大居士)。

隣接して夫人の瑤泉院(ようぜんいん)の墓もあります(戒名は瑤泉院殿良瑩正澄大姉)。

泉岳寺・浅野長矩の墓
名称 泉岳寺・浅野長矩の墓/せんがくじ・あさのながのりのはか
所在地 東京都港区高輪2-11-1
関連HP 泉岳寺公式ホームページ
電車・バスで 都営地下鉄浅草線泉岳寺駅から徒歩1分
ドライブで 首都高速芝公園ランプから約2.5km
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 泉岳寺 TEL:03-3441-5560/FAX:03-3441-2208
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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