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日向坂

日向坂

東京都港区三田1丁目と三田2丁目の間、二之橋から南に上る坂道が、日向坂(ひゅうがざか)。坂の頂上部には、綱町三井倶楽部のシックな洋館が建ち、南側へ綱の手引坂が下っています。日江戸時代前期、坂の南側に徳山藩・毛利日向守(もうりひゅうがのかみ)の藩邸があったことが坂名の由来です。

アイドルグループ・日向坂46の聖地にもなった坂

徳山藩は、毛利輝元の次男・毛利就隆(もうりなりたか)が寛永8年(1631年)に下松藩(くだまつはん)として立藩したのが始まり。
1650年(慶安3年)、藩庁を徳山に移して徳山藩となり、萩藩(長州藩)の支藩として存続しました。
毛利日向守は、毛利就隆のこと。
萩の毛利家本藩は、上屋敷(桜田藩邸)、中屋敷、下屋敷(青山藩邸)を江戸に構えていたため、毛利就隆も江戸屋敷拝領を望み、本藩である萩藩に幕府への取り次ぎを依頼しています(毛利家文庫『公儀所日乗』)。

一帯は、江戸時代諸藩の上屋敷が並んだ地で、江戸時代中期刊の『江戸切絵図』を見ても諸藩の屋敷が並んでいたことがわかります(徳山藩江戸上屋敷は、赤坂に移転しているため、『江戸切絵図』の日向坂南には記載がありません)。

欅坂46の関連グループ、けやき坂46が平成31年2月11日に日向坂46(ひなたざかフォーティーシックス)に改名。
港区に関連する坂道の、乃木坂46、欅坂46が勢いに乗る「坂道シリーズ」で、日向坂(ひゅうがざか)の名をとったもの。
日向坂も、港区の話では「ひなたざか」と誤読されることが多いとかですが、プロデュースする秋元康によれば、「ひらがな表記の画数が運勢的に良いことから『ひなたざか』を選んだ」とのこと。

『江戸切絵図』芝高輪辺絵図に見る日向坂
日向坂
名称 日向坂/ひゅうがざか
所在地 東京都港区三田1-11、三田2-1
関連HP 港区公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ・都営地下鉄麻布十番駅から徒歩5分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

乃木坂

東京都港区赤坂8丁目と9丁目の間を通る坂道が、乃木坂(のぎざか)。女性アイドルグループ・乃木坂46の名の由来でもあるため、その「聖地」ともされる坂道で、坂の途中に日露戦争の旅順攻略で知られる乃木希典(のぎまれすけ)の邸宅(旧乃木邸として現存

六本木けやき坂通り

東京都港区六本木6丁目、六本木ヒルズの中心を東西に貫く、全長400mの坂道が、六本木けやき坂通り。ケヤキ並木や花壇による修景で、四季折々の景観を生み出し、散歩にも絶好。東側の先には東京タワーがあり、夜景も素敵です。11月上旬〜2月中旬には、

六本木さくら坂

東京都港区六本木6丁目、テレビ朝日周辺の再開発で平成15年3月に誕生した全長400mの坂道が、六本木さくら坂。総面積11.6haという大規模な都心の再開発で誕生した六本木ヒルズの南縁部分にあたる通りで、その名の通り、坂の両側には、ソメイヨシ

鳥居坂

東京都港区六本木5丁目、外苑東通りの六本木5丁目交差点から鳥居坂下・大江戸線麻布十番駅方面へと下る坂道が、鳥居坂。江戸時代には坂上に、大名屋敷や武家屋敷が、坂下に町民が暮らした場所で、坂の東側に鳥居元忠が屋敷を構えたから、あるいは、氷川神社

 

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