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蘇峰公園

蘇峰公園

東京都大田区山王1丁目、 徳富蘇峰 ( とくとみそほう ) の居宅「山王草堂」跡を大田区立の公園にしたのが、蘇峰公園。徳富蘇峰は、大正13年〜昭和18年の間、大森山王の「山王草堂」と名づけた居宅に居住。馬込文士村の一角にあり、蔵書や書簡、愛用の品などを展示する山王草堂記念館も建っています。

徳富蘇峰が大正13年〜昭和18年の間、暮らした地

『國民新聞』を主宰し、当初は平民主義を掲げるも、大正デモクラシーにおいては帝国主義と平民主義を統合する皇室中心主義」を唱え、軍部の台頭とももに、挙国一致を喧伝するなど、国家主義に傾倒しています(ポツダム宣言の受諾にも反対)。
戦後は、GHQの逮捕命令対象者となりますが、老齢と三叉神経痛のために自宅拘禁され、その後、昭和32年、蟄居先の熱海で没しています。

思想的な振り幅があったものの、戦前の日本における最大のオピニオンリーダーともいえる徳富蘇峰ですが、活動の中心的な部分の著作物は、この山王草堂時代のもの。
山王草堂時代に『蘇峰自伝』(昭和10年)、『昭和国民読本』(昭和14年)、『満州建国読本』(昭和15年)を刊行、昭和15年には日独伊三国軍事同盟締結の建白を近衛文麿首相に提出、昭和17年には日本文学報国会を設立してみずから会長に就任するなど、軍部と密接な関係を築いた時代です。

徳富蘇峰は熊本から上京後、赤坂の勝海舟邸の借家住まい、そして青山に「青山草堂」(おあおやまそうどう)を建てて移り住んでいましたが、大正10年に文化施設である「青山会館」の建設を発表し、「青山草堂」の土地を寄付して大森山王の仮住まいに移り住み、大正13年に「山王草堂」を建設しています。
大森山王の土地は明治33年頃、新聞広告を見て父・徳富一敬(徳富淇水・とくとみきすい)の保養のため、1300坪の山林を購入していたもので、「山王草堂」は「青山草堂」の建物の部材を使って建築されています。
徳富蘇峰が集めた書籍を収蔵する成簀堂(せいきどう/成簀堂に収蔵されていた成簀堂文庫は現在、お茶の水図書館の所蔵)、次男・徳富万熊( とくとみまんくま=国民新聞調査部長、関東大震災の翌年の大正13年にチフスで死去) が集めた遺物を収蔵する「午後庵」などが付帯施設として建っていました。

蘇峰公園は徳富蘇峰の居宅「山王草堂」を昭和61年静岡新聞社(昭和32年、静岡新聞社社長・大石光之助の音頭で「徳富蘇峰先生を偲ぶ会」を開催し、GHQから解散命令を受けていた「蘇峰会」を再発足)から大田区が譲り受け、公園として公開したもの。

公園のすぐ南側には尾崎士郎記念館(大正12年に尾崎士郎は大森山王に引っ越し)があります(尾崎士郎は、川端康成など知り合いの文士達にしきりに勧誘)。

蘇峰公園
名称 蘇峰公園/そほうこうえん
所在地 東京都大田区山王1-41-21
関連HP 大田区公式ホームページ
電車・バスで JR大森駅から徒歩15分
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 大田区地域基盤整備第一課 TEL:03-5764-0643/FAX:03-5764-0633
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

山王草堂記念館

東京都大田区山王1丁目、 徳富蘇峰 ( とくとみそほう ) の居宅「山王草堂」跡を大田区立の公園にしたのが、蘇峰公園。その一角にあるのが。徳富蘇峰の蔵書や書簡、愛用の品、『近世日本国民史』の自筆の原稿などを展示する大田区立の施設で、山王草堂

 

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