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高野山東京別院

高野山東京別院

東京都港区高輪3丁目、高輪ゲートウェイ駅近く、泉岳寺の南にあるのが、高野山東京別院。高野山真言宗の総本山、金剛峯寺の別院で、弘法大師(空海)を本尊に祀っています。各種祈願はもちろんのこと、毎日13:30〜宗旨宗派問わず、当日の申し込みで一座供養(合同)が可能です。

江戸時代、江戸に設置された高野山の在番所が前身

延宝元年(1673年)、徳川幕府と宗務全般の交渉、全国の古儀真言寺院への伝達などを目的に、高野山江戸在番所高野寺として建立されたのが始まり。
徳川家康と2代将軍・徳川秀忠を祀る徳川家霊台(とくがわけれいだい)は、寛永20年(1643年)、3代将軍・徳川家光の命により高野山の徳川家の菩提寺・宿坊でもあった大徳院の境内に建立されましたが(明治時代に廃寺に)、豊臣政権と密接な関係にあった高野山は、徳川政権下で幕府に忠誠を誓うために、徳川家霊台を築き、さらに江戸に在番所を置いて、幕府との関係性を高めたのです。

高野山は、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦時に、大津に陣取る徳川家康のもとを高野山行人方(高野山内の組織は学侶方・行人方・聖方の高野三方で成立)の文殊院勢誉(豊臣秀吉から高野山管理を任されていた木食応其の後継者)が訪れ、徳川家康から朱印状を得ています(後に学侶方が駿府に隠居する家康に直訴し、結果として学侶方9500石、行人方1万1000石、聖方は寺領なしとなっています)。

徳川幕府の立場からすれば、高野山を統治機構のなかに組み入れる必要があり、在番所が江戸にあったのは、密教系寺院を支配するために幕府としても好都合だったのです。

昭和2年から高野山東京別院と称し、住職は、総本山金剛峯寺座主(ざす)が兼任しています。

「高輪結び大師」と称されるのは、古くは高縄を表記し、もともと江戸の入口で結界としての役割を担った高輪で、弘法大師と多様な御縁を結ぶということから。

毎日写経体験が可能なほか、月2回(土曜)に阿字観実修(真言密教の瞑想法)・茶話会が行なわれています。

高野山東京別院
名称 高野山東京別院/こうやさんとうきょうべついん
所在地 東京都港区高輪3-15-1
関連HP 高野山東京別院公式ホームページ
電車・バスで JR高輪ゲートウェイ駅、都営地下鉄高輪台駅、都営地下鉄・京急泉岳寺駅から徒歩10分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 高野山東京別院 TEL:03-3441-3338/FAX:03-3447-2243
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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