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亀島川

亀島川

東京都中央区を流れる荒川水系の一級河川が、亀島川(かめじまがわ)。霊岸橋(永代通り)近くで日本橋川から分かれ、新亀島橋、亀島橋(八重洲通り)、高橋(鍛冶橋通り)と続き、南高橋の先で隅田川に合流。日本橋川、亀島川、隅田川に囲まれた島が、霊岸島(れいがんじま)です。

上流側には東京スカイツリーを眺望

日本橋川との分岐点に日本橋水門(鋼製単葉ローラーゲート/昭和46年度完成)、隅田川との合流点に亀島川水門(鋼製単葉ローラーゲート/昭和43年度完成)と、2ヶ所の防潮水門で流域一帯の高潮の被害を防いでいます。

亀島川に架かる南高橋は、昭和7年3月に完成した帝都復興の橋で、東京市復興局の架橋。
両国橋の3連トラス橋のうち、損害の少なかった中央部分を補強して再利用したもので、土木学会の土木遺産にも認定されています。

日本橋川から南東に向かって流れるため、上流側は北東方向で、川の中央に東京スカイツリーというロケーションに。

霊巌島の地名は、浄土宗・雄譽霊岸(おうよれいがん=徳川家康の命により下総国・大巌寺の住職に)の発願で、埋め立てが行なわれ、寛永元年(1624年)、霊巌寺が建立されたことに由来。
明暦3年(1657年)、明暦の大火で類焼し、万治元年(1658年)深川に移転。
霊巌寺跡を松平忠昌(まつだいらただまさ=福井藩3代藩主・松平越前守忠昌)が中屋敷として拝領、屋敷を舟入の濠で囲んだため、越前堀と呼ばれるようになりました(赤穂浪士が吉良邸討ち入り後、越前堀横を通っています/現在は埋め立てられ、越前堀児童公園などに)。

亀島川の河口一帯は、江戸時代の江戸湊で、江戸城へ物資搬入の拠点。
亀島川河口の霊岸島側には御船手組屋敷「将監番所」も置かれ、船番御用と幕府御用船の管理が行なわれていました。
明治22年、渋沢栄一の構想で発足した東京湾汽船会社(現・東海汽船)は、御船手組屋敷「将監番所」跡を霊岸島汽船発着所にしていました(日の出桟橋、竹芝桟橋など東京港が近代化するのは関東大震災以降です)。

河口部分にある亀島川水門
亀島川
名称 亀島川/かめじまがわ
所在地 東京都中央区新川
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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