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聟島

聟島

東京都小笠原村、伊豆諸島最南の孀婦岩(そうふがん)の南、小笠原諸島の北部に位置するのが聟島列島(むこじまれっとう)で、その主島が聟島。父島の北55kmほどにある無人島で、世界自然遺産「小笠原諸島」の構成資産にもなっています。5kmほど南には媒島(なこうどじま)があり、さらに嫁島が続いています。

ガイド同行のツアーでのみ上陸が許される島

無人島だった聟島に入植が始まったのは明治14年。
牛や羊の放牧と甘藷栽培が主な産業として初寝村が生まれますが、第一次世界大戦後の砂糖価格暴落もあって離島が進み、戦後は無人島と化しています。

島の中央に大山(88.4m)がそびえ、島の西部に象頭山(80.6m)、その間にある南浜がかつての初寝集落の跡で、島に渡って初めて寝た場所という集落名が付けられたと推測できます(父島の東岸にも初寝浦があります)。
聟島の南1.5kmには、針之岩と名付けられた全長1㎞ほどの細長く侵食され尖がった奇岩群があります。

現在、島ではアホウドリの繁殖地形成計画も進行中。
アホウドリの繁殖地である鳥島は激しい火山活動の島のため、安心して繁殖できる地として聟島が選定され、鳥島産まれのアホウドリの雛を聟島に運び、生育を見守っているのです。

現在、船のチャーター、あるいは上陸ツアーに参加することで、南浜に上陸し、許されたルートを散策することができます。
上陸し、許されたルートを探勝するには、許可を受けたガイドの同行が必要。

聟島はペレースだったはずが、なぜかケーター島に!

1827年、イギリス王・ジョージ4世の命で太平洋の測量航海を行なっていたイギリス軍艦ブロッサム号(HMS Blossom)のフレデリック・ウィリアム・ビーチー(Frederick William Beechey)は、沖縄から当時無人島だった小笠原に来航、聟島列島の最南端の島・嫁島(よめじま)に物理学者のヘンリーケーター(Henry Kater )に因んでケーター島(Kater Island)と名付けています(『ブロッサム号の航海記』、1831年ロンドンで刊行)。

ペリーの『日本遠征記』にもビーチー制作の海図が記載され、嫁島にKater Id.と表記されています。

小笠原の入植を進める明治政府は、明治10年に「ペレースケータ二島ヲ聟島嫁島ト改称小笠原ニ属ス」と通達。
この通達からもペレース=聟島、ケータ=嫁島という関係性がわかりますが、なぜかその後にケーター=聟島と誤解され、今では聟島がケーター島と通称されるようになっています。
国土地理院の2万5000分の1地形図にも聟島(ケーター島)とあえてケーター島を入れているのも、地図作成時に地元での通称に従ったから。

イギリス軍艦ブロッサム号・ビーチーは、聟島列島(北部の島々)にイギリス軍本部の水路学担当者の名を付けてParry Islands、兄島はオックスフォード大学の地質学者の名をとってBuckland Island、父島に内務大臣の名からPeel Island、母島には当時の天文学会会長の名からBailey Islandなどと命名し、いずれもイギリスの領土であると宣言していますが、なぜかイギリス本国では領有を承認されることがありませんでした。

聟島
名称 聟島/むこじま
所在地 東京都小笠原村聟島聟島本島
関連HP 東京都環境局公式ホームページ
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

媒島

東京都小笠原村、小笠原諸島の北部に位置するのが聟島列島(むこじまれっとう)で、聟島の南東5kmほどにあり、聟島に次ぐ大きな島が媒島(なこうどじま)。父島の北50kmほどにある無人島で、世界自然遺産「小笠原諸島」の構成資産にもなっています。聟

嫁島

東京都小笠原村、小笠原諸島の北部に位置するのが聟島列島(むこじまれっとう)で、その南端に位置する島が嫁島。後島、後東小島、前島などに囲まれた無人島で、世界自然遺産「小笠原諸島」の構成資産にもなっています。嫁島横にあるマグロ穴は、ダイビングス

 

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