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大村益次郎像

大村益次郎像

東京都千代田区九段北2丁目、靖国神社(靖國神社)の参道途中、第一鳥居と第二鳥居の間、外苑に立つのが、大村益次郎像(おおむらますじろうぞう)。明治26年、日本最初の西洋式銅像として建立された高さ12mの銅像で、彫刻家・大熊氏廣(おおくまうじひろ)の制作。

江戸城富士見櫓から上野の山を見つめる姿を銅像に

司馬遼太郎の『花神』(かしん=NHK大河ドラマ第15作として昭和52年放送、主演・中村梅之助)の主人公でもある大村益次郎は、長州(山口県)出身で、大坂船場にあった蘭学の適塾の塾頭、故郷で村医、江戸で幕府の講武所教授などを務めた後、長州藩士となっています。
戊辰戦争では東征大総督府補佐となり勝利の立役者として活躍、明治維新後に兵部省初代大輔となり、大阪城近くに兵部省の兵学寮を設け、フランス人教官を招いてフランス軍をモデルとする新しい軍を創設したため、日本陸軍、近代日本兵制の創始者と称されています。

戊辰戦争直後の、明治2年6月、軍務官副知事だった大村益次郎は、靖國神社の前身である招魂社を九段坂上に建立することを決めていますが、7月8日、京都の旅館で会食中、反感を持つ刺客の襲撃を受け重傷を負い、11月5日、敗血症のため大阪の病院で没しています(亨年47)。
襲撃を行なったのは、元長州藩士・神代直人(こうじろなおと=急進的な尊王攘夷論者)ら8人(うち旧長州藩士は2人)で、兵制を中心とした急進的な変革に対する強い反感があったため、大村益次郎を襲撃したのです。

靖国神社外苑の大村益次郎像は、武士らしく筒袖羽織(つつそでばおり)に短袴(たんこ)を着用、左手に双眼鏡を持った姿です。
これは、戊辰戦争時、江戸城富士見櫓から上野の山に籠もる彰義隊(しょうぎたい)を凝視している姿といわれています(大村益次郎は、富士見櫓から上野・寛永寺の堂塔が炎上するのを見て勝利を確信したと伝えられています)。
銅像台座には三条実美(さんじょうさねとみ)による大村益次郎顕彰文が記され、弓往時には矢をデザインした鉄柵と大砲8門も配されていましたが、戦時中の金属供出で失われています。

上野恩賜公園の西郷隆盛像(明治31年除幕/高村光雲作)、皇居外苑・皇居前広場の楠木正成像(明治33年/高村光雲・山田鬼斎・石川光明・後藤貞行作)とともに東京三大銅像にも数えられています。

大熊氏廣制作の銅像を鑑賞

大熊氏廣制作の銅像は、出世作である大村益次郎像のほかに、

があります。

大村益次郎像
名称 大村益次郎像/おおむらますじどうぞう
所在地 東京都千代田区九段北3-1-1
関連HP 千代田区観光協会公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ・都営地下鉄九段下駅から徒歩7分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

東京三大銅像とは!?

銅像の宝庫でもある東京ですが、明治26年、日本最初の西洋式銅像として靖国神社外苑に設置された大村益次郎像(大熊氏廣制作)、明治31年、上野恩賜公園設置の西郷隆盛像(高村光雲制作)、明治33年、皇居前広場に設置の楠木正成像(高村光雲など東京美

 

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