東京都千代田区神田須田町2丁目、JR秋葉原駅近くの神田川沿いに鎮座するのは、柳森神社(やなぎもりじんじゃ)。長禄2年(1458年)、太田道灌が江戸城の鬼門(北東)除けとして京の伏見稲荷大社の分霊を現在の神田佐久間)に勧請して創建したと伝えられ、万治2年(1659年)、現社地に遷座しています。
桂昌院ゆかりの福寿神を祀ることで、玉の輿祈願に訪れる女性も
柳森神社という社名は太田道灌が創建の際に、十町四方の地に柳を植栽したことに由来し、神号を柳森と号したから。
もともとの神田川は、元和6年(1620年)、初代の仙台藩主・伊達政宗が神田山(本郷台地)を切り崩し、駿河台と湯島台に分け、間に大きな谷を築くという大工事で誕生した運河で、仙台藩第4代藩主・伊達綱村が舟運が利用できるように万治3年(1660年)に大改修を行なっています。
この大改修で移転を余儀なくされたのが、柳森神社で、神田川対岸の現社地に遷座し、神田川の土手に柳を移植したことから、柳原堤として江戸時代後期に編纂された江戸の地誌『江戸名所図会』にも記される江戸の名所になったのだとか。
旧社地の神田川北岸は、舟運を利用できることから、米穀商、木材商が集まり、秋葉原発展の基礎を築いています。
江戸城の鬼門封じで創建された稲荷社ということで「方除稲荷」(ほうよけいなり)、江戸城中火防の社だったことから「火防稲荷」(ひぶせいなり)とも称されていました。
烏森神社(からすもりじんじゃ/港区新橋2丁目)、椙森神社(すぎのいもりじんじゃ/中央区日本橋堀留町1丁目)とともに江戸三森にも数えられています。
境内社の福寿社は「お狸き様」と呼ばれ、5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん)が江戸城内に創建した福寿神(ふくじゅしん)と伝わっています。
授与品の「お狸き様」と呼ばれる親子狸のお守(親狸は家に置き甘いものをお供えし、子狸は懐中に入れて持ち歩くしきたり)は、「たぬき=他に抜きんでる」ということから勝負事や立身出世、金運向上にご利益があると信奉されています。
桂昌院の出自は定かでなく、西陣織屋の娘とも、本庄宗利)の後妻(八百屋の未亡人)の連れ子ともいわれていますが、いずれにせよ庶民の出ながら将軍を生むというサクセスストーリーから元祖「玉の輿」とも称され、そのことで、玉の輿祈願に訪れる女性も多いのだとか。
境内には13個の力石が残されていますが、往時に、若者たちが力自慢を競ったもの。
境内の浅間神社は、富士講全盛時代の名残りで、かつては富士塚もありましたが、今では手水鉢(元禄時代のものです)の横に、溶岩の築山と富士講関連石碑群があるのみとなっています。
柳森神社 | |
名称 | 柳森神社/やなぎもりじんじゃ |
所在地 | 東京都千代田区神田須田町2-25-1 |
関連HP | 千代田区観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 都営地下鉄岩本町駅から徒歩3分、JR・東京メトロ秋葉原駅から徒歩6分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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