東京都足立区花畑7丁目にある「酉の市」の発祥地といわれるのが、大鷲神社(おおとりじんじゃ)。大鷲神社は各地にあるので花畑大鷲神社とも呼ばれています。神仏習合の時代には、鷲大明神社称し、正覚院が別当(神社を管理する寺)となっていました。11月の酉の日に行なわれる『酉の市』では賑わいをみせます。
11月に行なわれる『酉の市』は大鷲神社が発祥
社伝によれば、源義光(みなもとのよしみつ)が、永保3年(1083年)に始まる後三年の役の際、兄・源義家(みなもとのよしいえ)を助けるため東北地方へ向かう途中、この地で戦勝を祈願を祈願し、その時に見かけた鷲を祀ったのが始まりと伝えられます。
現存する本殿は源義光の子孫という秋田藩主・佐竹義睦(さたけよしちか)が建立したもので、嘉永7年(1854年)に上棟、幕末の荒海を乗り越えて、明治8年に竣工したもの。
総欅(そうけやき)、唐破風造り(からはふづくり)で、昇り龍、降り龍の彫り物も見事で、左甚五郎13代・後藤与五郎の作と伝えられています。
拝殿は本殿より古い形式で、拝殿は棟札から寛永元年(1624年)築と推測されます。
祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)です。そのため日本武尊の命日と伝わる11月の酉の日に例祭が行なわれるようになり、酉の市として発展したもの(ただし、『江戸名所図会』には「祭る神、詳らかならず」と記されています)。
また別当の正覚院では、日蓮ゆかりの本尊・鷲妙見大菩薩の開帳日に立った市としています。
江戸時代には江戸近郊の農村地帯で、『江戸名所図会』に描かれた鷲大明神社(わしだいみょうじんじゃ)にものどかな風景が描かれています。
当時は綾瀬川の舟運で鐘ヶ淵で隅田川に入り、江戸と結んでいました。
江戸時代には「浅草観音の奥の院」とも称され、『酉のまち』(酉の市)の日には、近郷の農民が飼育するニワトリを奉納し、翌日に浅草寺観音堂前に放つ習慣がありました。
花畑の大鷲神社・正覚院(足立区)を「上酉、本酉」、千住・勝専寺(しょうせんじ)を「中酉」、浅草の鷲神社・長國寺を「下酉、新酉」と称されていました。
当初は大鷲神社の酉の市が本酉として盛んでしたが、博打の禁止などから、吉原に近い浅草の鷲神社・長國寺へ賑わいが移っていきました。
大鷲神社 | |
名称 | 大鷲神社/おおとりじんじゃ |
所在地 | 東京都足立区花畑7-16-8 |
関連HP | 大鷲神社公式ホームページ |
電車・バスで | 東武スカイツリーライン谷塚駅から東武バス花畑桑袋団地行きで5分、草加記念体育館下車、徒歩8分。つくばエキスプレス六町駅から東武バス桜花小学校入口行きで8分、花畑六丁目下車、徒歩5分 |
ドライブで | 首都高速八潮南ICから約2km |
駐車場 | あり/無料、正月、酉の市の際はなるべく公共交通の利用を |
問い合わせ | 大鷲神社 TEL:03-3883-2908/FAX:03-3883-2963 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag