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三浦按針屋敷跡

三浦按針屋敷跡

東京都中央区日本橋室町1丁目にあるのが、三浦按針屋敷跡。関ヶ原の戦い直前に日本に漂着したイギリス人(イングランド人)の航海士ウィリアム・アダムスは、五奉行のひとり、徳川家康に迎えられ、江戸に屋敷を構えていますが、その場所がここ。その後、三浦按針と名乗り、家康・秀忠の外交顧問として活躍しています。

旗本となったウィリアム・アダムスが江戸に屋敷を構えた地

ウィリアム・アダムス(三浦按針)は、伊豆・伊東(現・静岡県伊東市)で帆船を造船、さらに肥前国・平戸(現・長崎県平戸市)に平戸オランダ商館を築くことに尽力し、晩年は平戸で暮らしているので、江戸暮らしはさほど長くはありませんが(家康も江戸に幕府を開いた後、駿府で大御所政治を展開)、江戸時代には江戸日本橋按針町と称されるほど、ウィリアム・アダムス(三浦按針)の屋敷があったことは有名でした。

ウィリアム・アダムスは、慶長12年(1607年)、伊東の造船所で120tの西洋式帆船の建造に成功、家康は旗本に取り立て、相模国三浦郡逸見村(へみむら=現・横須賀市)に領地を与えたことから、領地の三浦、そして水先案内人という意の按針から、三浦按針と名乗ります。

神奈川県立塚山公園の安針塚(三浦按針夫妻供養塔)には一対の石灯籠がありますが、寛政10年(1798年)に江戸日本橋按針町から寄進されたもの。
ウィリアム・アダムス(三浦按針)は、元和6年4月24日(1620年5月26日)、平戸で没しています。つまり、没後150年以上経っても屋敷のあった日本橋按針町の人々には慕われていたことがわかります。

屋敷の跡地は昭和5年6月、東京府史跡の指定を受け、昭和5年7月、地元有志の手で記念碑が建立されましたが戦災で破壊され、現在の記念碑は、昭和26年5月に立てられた2代目です。
按針町という町名は失われていますが、按針通りという通名にその名を残しています。

ウィリアム・アダムス(三浦按針)とともにオランダ船「リーフデ号」で漂着した人物にはヤン・ヨーステン(オランダ人の航海士)もいて、同様に旗本となって江戸城の内堀沿いに邸を築いています。
そのヤン・ヨーステンが日本名「耶楊子」(やようす)になり、転訛して八重洲となりました(東京駅の八重洲地下街にあるヤン・ヨーステン記念像があります)。

ちなみに真田広之がプロデュース・主演を務めた『SHOGUN 将軍』(第76回エミー賞で史上最多となる18の賞を受賞)に登場するイギリス人航海士のジョン・ブラックソーンは、ウィリアム・アダムス(三浦按針)がモデルです。

三浦按針屋敷跡
名称 三浦按針屋敷跡/みうらあんじんやきしあと
所在地 東京都中央区日本橋室町1-10-8
関連HP 中央区観光協会公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ三越前駅から徒歩3分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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