2023年11月22日(水)、神奈川県横須賀市の久里浜港と、千葉県富津市の金谷港を結ぶ東京湾フェリーに黒船仕様(黒船風にラッピング)の「しらはま丸」(3351t、旅客定員680名)が登場。ドックから母港の久里浜港に帰港し、11月23日(木・祝)から定期運航に組み込まれます。
黒船「サスケハナ」の全長は「しらはま丸」とほぼ同じ!
マシュー・ペリー(Matthew Calbraith Perry)率いる東インド艦隊が琉球(沖縄)経由で浦賀に来航したのは、嘉永6年6月3日(1853年7月8日)のこと。
アメリカ合衆国大統領ミラード・フィルモアの親書(目的は捕鯨船の寄港地の確保)を携えてバージニア州ノーフォーク(Norfolk)を前年の11月に出航、6月9日(7月14日)、幕府側が指定する久里浜に護衛を引き連れ上陸、浦賀奉行・戸田氏栄(とだうじよし=事の重大性を見抜き、幕府に早船を送って注進)と浦賀奉行・井戸弘道(いどひろみち)に大統領の親書を手渡しています。
つまり久里浜は、ペリー上陸の地、そして2023年は、来航170周年ということで、かつてチーバくんラッピングで話題となった「しらはま丸」が黒船仕様に変身することに。
実はペリーが乗船していた東インド艦隊旗艦の「サスケハナ」(USS Susquehanna)は、全長78.3m(257フィート)、全幅13.7m(45フィート)、満載排水量3824t(長さと幅だけで計算する当時のbmトンの計算では2450t)、最大速力10.0ノットの蒸気フリゲート艦で、当時としては最大級の巨艦。
これに対して東京湾フェリーの「しらはま丸」は全長79.1m、全幅18.00m、総トン数3351t、最大速力15.0ノットのディーゼル船。
比べてみると、全長はわずか80cmの違いでほぼ同じ大きさ!
つまりは久里浜沖を航海する姿から、「泰平の眠りをさます上喜撰(上等なお茶のこと=蒸気船)たった四盃(4隻)で夜も寝られず」(有名な狂歌)という当時、江戸の人をパニックに陥れた黒船来航のイメージ(それまで訪れていたロシア海軍やイギリス海軍は帆船でした)をしっかりと掴むことができるということに。
ちなみにペリー艦隊も4隻のうち蒸気船は「サスケハナ」、「ミシシッピ」の2隻で、残りの2隻(「サラトガ」、「プリマウス」)は帆船だったので、まさに最新鋭の巨艦だったことがよくわかります(「城が動くようだ」との表現が残されています)。
この浦賀来航という圧力に屈したかたちで、安政元年(1854年)、日米和親条約(神奈川条約)を締結、神奈川(横浜)などの開港が実現しています。
久里浜港に出かければ、そのきっかけとなった黒船襲来を、久里浜港で「この目にできる」(あくまで頭の中でのイメージですが)という貴重な体験に(乗船すれば、ペリー提督の目線ということに)。
東京湾フェリーの久里浜港(ターミナル)周辺には、ペリー上陸記念碑(伊藤博文筆の「北米合衆國水師提督伯理上陸紀念碑」)、ペリー記念館や「じょうきせんの碑」のあるペリー公園などがあります。
大塚洋一郎さんのお洒落なデザインにも注目!
従来の赤白の「しらはま丸」を黒船化するのは、単純な作業ではないはず。
それを担ったのがデザイナー・大塚洋一郎さん(完成予想図を制作)。
「デザインをするにあたって白が黒なのでとにかく暗い印象ならないように考えました。
外輪はグラフィックポイントになるので象徴的に、赤と黒の境目には白ラインを入れてそれぞれ色が暗く感じないように。
船体中央に金(をイメージできる)ラインを細目に船首ら船尾に通しました。
前部の上は茶に塗装して木の感じを出し、船首にはロゴと波のモチーフをポイントで入れました」
とのことです。
浦賀に黒船が再来!? 東京湾フェリーが「黒船」に変身! | |
開催日時 | 2024年11月23日(木・祝)〜 |
所在地 | 神奈川県横須賀市久里浜8-17-20/千葉県富津市金谷4303 |
場所 | 東京湾フェリー |
関連HP | 東京湾フェリー公式ホームページ |
電車・バスで | 京急久里浜駅から京急バス東京湾フェリー行きで10分、または、野比海岸行きで12分。または、タクシーで8分で久里浜港/JR浜金谷駅から徒歩8分で金谷港 |
ドライブで | 横浜横須賀道路佐原ICから約4kmで久里浜港/富津館山道路富津金谷ICから約3kmで金谷港 |
駐車場 | 久里浜港(100台/有料)/金谷港(60台/有料) |
問い合わせ | 東京湾フェリー TEL:046-830-5622 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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