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意外に知らない! 豊島区でなく、練馬区にあるのになぜ「西武豊島線」!?

西武豊島線

西武池袋線・練馬駅と豊島園駅を結ぶ路線距離わずか1.0kmの西武豊島線。全線が練馬区内にあるのに、西武豊島線と称しています。この西武豊島線、前身となる武蔵野鉄道によって昭和2年10月15日に開業した歴史ある路線。もともと豊島園(のちの「としまえん」)への足として開業した路線のため、豊島線となったもの。

練馬城を築いたのが豊島氏、その豊島氏に由来する名

大正15年9月15日に「練馬城址 豊島園」として開園した豊島園への足として、武蔵野鉄道豊島線として開業。
遊園地「としまえん」の跡地は、現在「スタジオツアー東京」と都立練馬城址公園となっていますが、
当初は豊島園駅ではなく、豊島駅(東京府北豊島郡下練馬村)でしたが、昭和8年3月1日、豊島園駅に改称しています。

豊島園が開園した当時の地名は、東京府北豊島郡上練馬村、現在の練馬区向山3丁目にありましたが、練馬城を築いたのが豊島氏ということで(14世紀末に豊島氏が石神井城の支城として築城)、豊島園と名乗り、豊島園への足ということで豊島線という名になったもの。
つまり、豊島園、そして豊島線の豊島は、練馬城主・豊島氏に由来するもの。

豊島園はもともと日銀出身で大川財閥に迎え入れられた実業家・藤田好三郎(ふじたよしさぶろう)が家族の保養のために購入していた土地を、造園家・戸野琢磨(とのたくま)が、東京で初の子供向け近代的な遊園地、庭園として開放したのが始まり。
現在もイギリスの古城を模した食堂「古城の塔」の建物が荒廃しながらも唯一開業当時の施設として現存しています(耐震の関係で取り壊される可能性も)。

昭和6年11月20日に豊島園は藤田好三郎の手を離れ、競売にかけられて所有者が転々とした後、昭和16年11月1日に武蔵野鉄道(現・西武鉄道)の所有に。
その後も、「豊島園」、「としまえん」(昭和55年から)として令和2年8月31日に閉園するまで、その名称を使い続けました(現在も「豊島園 庭の湯」は営業)。

こうして豊島氏築城の練馬城に由来する、「豊島線、豊島園駅は練馬区に存在」という中世の豪族由来の名称が今も続いているのです。

現在、豊島園駅は、映画『ハリー・ポッター』に登場するホグワーツ魔法魔術学校への「ホグズミード駅」を彷彿とさせる赤を基調としたホームへ改修。
かつて豊島園で活躍していたアメリカの西部開拓時代に活躍した蒸気機関車を模した模型列車(MINIATURE TRAIN)を『空飛ぶ魔法列車』として展示、ますます豊島氏とは縁遠い存在になっています。

ちなみに豊島区は、豊島郡という歴史ある郡名に由来。
大化2年(646年)にすでにその名があるという律令制創始以来の歴史ある地名で、豊島氏は中世にその土地を支配した豪族ということに。

豊島園駅は「ホグズミード駅」風に変身
意外に知らない! 豊島区でなく、練馬区にあるのになぜ「西武豊島線」!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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