徳島県三好市を流れる吉野川中流域の奇勝、大歩危(おおぼけ)、小歩危(こぼけ)。歩危については、山などの険しい場所を表す「ほき」という言葉が転じたとか、大股で歩いても小股で歩いても危険な所という意味で名付けられたなどの由来があります。大歩危峡は奇岩怪石が5kmにわたって連続し、国の名勝、天然記念物に指定。
8kmに渡って断崖が続く土佐街道の難所中の難所
大歩危の渓谷を通る土佐街道(国道32号)の開削が明治25年、さらに鉄道(土讃線)の開通は昭和10年なので、いかに大歩危が人の往来を阻んだ秘境だったかがよくわかります。
「大歩危峡まんなか」で乗船する大歩危峡観光遊覧船からは激流が造りだした自然の美しさを堪能可能。
遊覧船の乗り場付近は、地層の傾きが下流に向かって45度上向きに傾斜し、下船場付近では平行に、さらに3kmほど下流の小歩危付近では45度下向きになっている点にも注目を。
漫画『ゲゲゲの鬼太郎』にも登場する子泣き爺(こなきじじい)は、民俗学者・柳田國男の著書『妖怪談義』にも記載の妖怪。
徳島県山間部に語り継がれる妖怪ですが、その伝承発祥の地が徳島県三好郡山城町(現・三好市)の大歩危周辺。
「道の駅大歩危」に妖怪ミュージアムとして「こなき爺の里妖怪屋敷」がオープンしています。
車を駐車する場所は、道の駅大歩危、観光遊覧船の発着する「大歩危峡まんなか」の2ヶ所。
四国新道と大久保諶之丞
大歩危に国道が通るのは香川県出身の政治家・大久保諶之丞(おおくぼじんのじょう/現・三豊市財田町の出身)の提案した「四国新道構想」によります。
多度津と高知を結び車馬の通行できる初めての道だったのですが、なんと大久保諶之丞は私財を投じて完成させています。
大久保諶之丞は、四国新道(現在の国道32号、国道33号などの前身)のほか、香川用水(徳島県との県境にそびえる阿讃山脈をトンネルで貫き、徳島県を流れる吉野川の水を讃岐平野に導水する大計画)、さらに、明治22年5月23日の讃岐鉄道開通式での祝辞では「塩飽諸島を橋台として架橋連絡せしめば、常に風波の憂なく、南来北向東奔西走瞬時を費さず、それ国利民福これより大なるはなし」と瀬戸大橋を提唱しています。
四国新道は、明治27年に全道開通。
多度津と高知を結び車馬の通行できる初めての道だったのですが、なんと大久保諶之丞は私財を投じて完成させています。
大久保諶之丞は、四国新道(現在の国道32号、国道33号などの前身)のほか、香川用水(徳島県との県境にそびえる阿讃山脈をトンネルで貫き、徳島県を流れる吉野川の水を讃岐平野に導水する大計画)、さらに、明治22年5月23日の讃岐鉄道開通式での祝辞では「塩飽諸島を橋台として架橋連絡せしめば、常に風波の憂なく、南来北向東奔西走瞬時を費さず、それ国利民福これより大なるはなし」と瀬戸大橋を提唱しています。
四国新道は、明治27年に全道開通。
香川用水は昭和49年、瀬戸大橋は昭和63年に完成。昭和になって大久保諶之丞の壮大な構想は実現したのです。
徳島県立琴平公園(琴平町)、たからだの里(三豊市財田町)、香川用水記念公園(三豊市財田町)には大久保諶之丞銅像、胸像が立っています。
大歩危 | |
名称 | 大歩危/おおぼけ |
所在地 | 徳島県三好市山城町西宇 |
関連HP | 三好市公式観光サイト |
電車・バスで | JR大歩危駅から徒歩30分 |
ドライブで | 徳島自動車道井川池田ICから約24km |
駐車場 | 道の駅大歩危駐車場(54台/無料)、その他、施設付帯駐車場を利用 |
問い合わせ | 三好市観光案内所 TEL:0883-76-0877/FAX:0883-76-0876 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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