ヤマト王権の象徴でもある畿内大王墓に多い前方後円墳。奈良県桜井市の箸墓古墳(はしはかこふん/3世紀後半築造)から始まった前方後円墳ですが、その北端は奥州市の角塚古墳、南端は鹿児島県大隅半島の塚崎51号墳(花牟礼古墳)で、これがヤマト王権の勢力範囲だったのかもしれません。
最北の前方後円墳|角塚古墳
所在地:山形県奥州市胆沢南都田塚田
墳丘長:43m〜45m(岩手県下で唯一の、埴輪をもつ前方後円墳)
築造の年代:5世紀末〜6世紀初頭(古墳時代中期)
史跡指定:国の史跡
被葬者:ヤマト王権と関係を有した首長
最南の前方後円墳|塚崎51号墳(花牟礼古墳)
所在地:鹿児島県肝属郡肝付町野崎塚崎
墳丘長:71m
築造の年代:4世紀〜5世紀(古墳時代中期)
史跡指定:国の史跡
被葬者:ヤマト王権と深い関係のあった首長
日本最南&日本最北の前方後円墳とは!? | |
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