和歌山県和歌山市、和歌山市街の中心、市堀川の本町通りに架かる橋が京橋。藩政時代には市堀川は和歌山城の外堀で、橋の南側は三の丸、北側が城外となっていました。紀州藩の主要街道は、和歌山城下の京橋北詰を基点とし、各地に延びていたのです。
紀州藩の主要街道の基点
往時には京橋の南詰に櫓門形式の京橋門が建ち、和歌山藩主の参勤交代時にはこの橋を渡りました。
6代藩主・徳川宗直までは参勤交代の際に、伊勢街道(和歌山街道)を使って高見峠を越えて松阪に出ていました。
そして松阪城下・大口浦から船で宮(熱田=現在の名古屋市熱田区)に出て東海道を下ったのです。
江戸までおよそ13日で到達できましたが、多人数での峠越えが困難で経費もかかったため、延享2年(1745 年)以降は、貝塚、大坂(現在の大阪)、枚方を経て京から東海道経由となっています。
京橋の上流側にはからくり時計も設置。
和歌山藩主の参勤交代の様子を歌った童謡『毬と殿様』(西条八十作詞・中山晋平作曲)が流れて籠から殿様が姿を表す仕掛けがあります。
京橋 | |
名称 | 京橋/きょうばし |
所在地 | 和歌山県和歌山市本町1・和歌山市十二番丁 |
電車・バスで | 南海和歌山市駅から徒歩15分 |
ドライブで | 阪和自動車道和歌山ICから約5km |
駐車場 | 和歌山市営京橋駐車場(36台/有料)などを利用 |
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