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出立王子

水呑王子

和歌山県田辺市古尾、熊野古道・紀伊路の芳養王子(はやおうじ)と秋津王子(あきづおうじ)の間にあるのが出立王子(でだちおうじ)で、熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)のひとつ。田辺(田部)王子とも呼ばれ、紀伊路(熊野参詣道)はここから海を離れて山道の中辺路(なかへち)と入ることになります。

海水で身を清め、参詣者は中辺路へ向かった

鳥羽離宮(現・城南宮)を起点に、淀川を下り、摂津の窪津で上陸、沿道の王子社に巡拝しながら河内国、和泉国を経て雄ノ山峠を越えて紀伊国に入る紀伊路。
紀伊田辺からはいよいよ海岸を離れるわけですが、熊野への新たなると出立という意味合いで出立王子と称されたのだと推測できます。

往時には美しい海に面し(大正10年に埋め立て)、中世には浜で海水で身を清める潮垢離(しおごり=塩垢離)が行なわれており、出立王子の海側の江川児童公園には潮垢離浜跡(しおごりはまあと)の碑が立っています。
少し離れた扇ヶ浜公園には、田辺湾から海水をポンプアップして引き込む仕組みの「潮垢離場」も復元されています。
建仁元年(1201)年、後鳥羽上皇の熊野詣でに随行した藤原定家の『熊野道之間愚記(後鳥羽院熊野御幸記)』には、不覚にも風邪をひき、出立での潮垢離を辞退したところ、厳しく叱責され、やむなく田辺浜で潮垢離をして身を清めたことが記されています。

往時にあった若一王子権現社(にゃくいちおうじごんげんしゃ=本地仏は十一面観音である神仏習合の神で、五所王子の第一位)の鎮座地は定かでありませんが(元町西郷の御所谷付近と推測されています)、田辺第三小学校の坂道途中に祠が祀られています。
拝殿、回廊があったという若一王子権現社の社殿は、明治40年に八立稲神社に合祀されて廃社となっています。
現在の祠は昭和14年の再興。

ちなみに、紀伊田辺駅に近い北新町にある道分け石(北新町道標)が、熊野参詣道の中辺路ルートと大辺路ルートの追分(分岐点)。

名称 出立王子/でだちおうじ
所在地 和歌山県田辺市上の山2-7
関連HP 田辺観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR紀伊田辺駅から徒歩20分
ドライブで 阪和自動車道南紀田辺ICから約1.8km
駐車場 鳥居前の駐車スペースを利用
問い合わせ 田辺観光協会 TEL:0739-26-9929/FAX:0739-22-9903
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

芳養王子(芳養大神社)

和歌山県田辺市、熊野古道・紀伊路の途中、三鍋王子(みなべおうじ)と出立王子(でだちおうじ)の間にあるのが芳養王子(はやおうじ)。熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)のひとつで、芳養川河口に位置する王子です。下芳養荘(しもはやしょう)の産

 

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